日本人には「循環する時間」の概念があるのだと
最近読んだ本に書いてあった.
「循環する時間」というのは,
例えば新年を迎えるときに,
未知なる新しい時間がやってきたというよりは
リセットされて再びリフレシュな
新しい年が来たようなあの感覚だ.
「循環する時間」の感覚があるのは
世界に共通しているということではないらしい.
欧米・中東では,時間には始まりがあって終わりがある
一直線のものであるという感覚で時間を捉えているのだそうだ.
循環する時間の感覚があるのは,主にアジア圏.
輪廻転生の仏教的な文化の影響だろうか.
或いは四季の移り変わりの明確な風土が影響しているのだろうか
自分を振り返れば,循環する時間の感覚を持っていることによって
助けられたような気もするし,
それによって時間を無駄にしてしまったような気もする.
例えば,毎年冬に今年こそはスキーをやろうと思ってみても
めんどくさくなって,また来年やればいいやと思って
結局,いつまでたってもやらずじまいなのである.
一直線に流れる時間感覚を持っていたなら,
循環的時間感覚をもつものよりも
今この瞬間をもっと大切にしなければならないと思うのではないか.
また或いは,再び同じ季節や時間が巡ってくるという感覚の延長線上に
何時までも寿命があるような錯覚を助長するのではないか.
現実には来年の今頃は,死んでいるかも知れない.
極端なことを言えば明日の夜には死んでいるかも知れないのだけど
毎日同じ時間がやってくる,来年もおなじ季節を迎えていると
信じて疑わない自分がいる.
今年も12月となり残すところ1ヶ月となった.
1月にやろうと決心した事柄をこなすことはできていない.
あと1ヶ月.
ふたたび自分に与えられる時間は無いのだといい聞かせて,
今の時間を使いたいものだと願ってはみるのだけど,
疲れの抜けない体の気怠さに負けて
直ぐにくじける自分が情けない.