2011年1月6日木曜日

「風情故に雪を願い,利便の故に雪を嫌う」

正月休みにドカ雪が振り,
盛岡の街中の沿道にも
うず高く雪が積もっている.

雪が降るとめんどくさい作業が増え,
車の運転にも慎重を要し,
渋滞が増えたりして
生活の利便性は良くないのだけど,
雪はやっぱり風情があっていいと思う.

僕が高校生まで育った旭川では,
半年くらい雪と共に暮らしていたからか,
冬の足元に雪がないとしっくりこない.
でも実際にドカ雪が降ると
「やっぱ雪はイイっすネ」と
言いにくくはなるが,
風情故に僕は雪が好きなのだ.

雪は自然が降らせるものだから,
もっと降って欲しいと思ったところで降らないし,
降らないで欲しいと願っても降る.

「また こんなに降った」と,
「もう たくさん」と思っても,
人の思いとは関係なく降り続く雪は,
普段は気づかない人のエゴを炙り出すような気がする.

早く目的地に付きたいと思っても雪の渋滞で動けない.
車を出そうとしても雪にハマって動けない.
雪で滑って歩きにくい.
それらは全て雪のない日常が人にとってありがたい
状態であったかの裏返しだ.
しかし日常において,そのことに感謝する事を知らない.

でも,考えてみると
雪のふる北國に住む人は
心が温かいとか情緒豊かだと
言われることがある.
もしかしたら,それは人の力の及ばないことを,
毎年の雪に思い知らされているからではないか.
降った雪に文句を言ったところでどうにもならない.
雪を前すると諦めて除雪するしかない.

水害や地震に被災した人達が,その経験を堺に
生き方や自然に対する見方が変わるという.

毎年降るこの雪は,静かに僕らに語りかけると思うのだ.
人の及ばぬ力が雪を降らせるから,
僕らもそれを思わずにはいられぬ.