初めてパソコンのキーボードに触れた中学2年生の頃から
文章を書く時は,キーボードを通じてテキストを入力してきた.
14歳の頃から打ってきたこともあって,結構キーボードは
早撃ちできる方ではないかと思ったりもする.
けど,文章を書いてやろうとキーボードに手を置いても
スラスラ文章を思い浮かべて入力できるかというと,そうでもない.
キーボードで言葉を入力しては,消してまた入力の繰り返し.
消せるから,紡ぐ言葉に覚悟がないのだと思う.
2週間ほど前に,机の掃除をしてたら安物の万年筆を見つけた.
きっとなんかの入学記念とかでもらったものだと思う.
赤いペンだったから,自分がもらったんじゃなくてカミサンが
もらったものかも知れない.
軽い気持ちで手にとって,いつも持ち歩いているペンケースに入れ,
先日 仕事でメモを取るのに使ってみたら,なんだか気持ちよく字が書けた.
いつも使っているボールペンよりも,万年筆のインクは,
もっと濃くて深い黒で,なめらかに書けると感じる.
力をいれれば,加減に応じて毛筆のように太さが変わって
メリハリの効いた字が書ける気がするのだ.
「万年筆でメモをとっていると気持ちがいい」
字を書くのが楽しくなった.
1週間ほど使っている間にすっかり万年筆が気に入って,
少し太めの中国製の安物万年筆をヤフオクで買った.
値段は430円.でもコンバータ方式になっていて,
ボトルのインクから補充できたり,重量感もあってあなどれない.
ちなみに定価は3800円とあった.本当か嘘かはわからない.
この新調した安物万年筆は,使いきりのボールペンなどよりも
かなりインクが多く出るようだ.
補充してもノートを4ページ程度書いているとコンバータの
インクはすっかり無くなって,すぐに補充する必要がある.
だからといってインクが出すぎて字がにじむということもない.
インクの減りが早いことは,私にはメリットに思えてならない.
インクが無くなるほど書いたという充足感がたまらなく心地いい.
もうこんなに書いたのかと,減ったインクを眺めながら
コンバータにインクボトルから新しいインクを吸わせて満たす.
インクが満タンになったら心も満タンになったような満足感.
再び万年筆を走らせたくなる.
文章を書くなら,キーボード入力しようが,ノートに鉛筆で書こうが
万年筆で書こうが,出来上がるものは同じであると私はこれまで
信じて疑わなかった気がする.これは間違いだったと気付かされた.
文章を書くという行為は,書くときの気分にずいぶん左右される作業だ.
もし書くことが一字一句決まっているなら同じかも知れないが,
少なくとも今の私は,万年筆を持って文章を書こうとする時と,
キーボードに手をおいた時の文を書く楽しさは確かに大きく違う.
一字一句を頭に思い浮かべて,字を思い起こしながら,万年筆を紙に走らせ
紙に載ったインクの乾き具合をみて,減っていくインクの量を実感しつつ
うまく書けた字を眺め,万年筆を引き続き走らせていく昔ながらの行為は,
その瞬間瞬間に思い通りにいったとか,ちょっと失敗したとか,
心のなかでの応答があって,それが心地良さとなっている.
書く行為そのもので新たな言葉が浮かんでくる気がする.
効率と便利を追求するなら,圧倒的にキーボードを通じて
電子的なテキストにしたほうが時間も短縮できて効率も
よいだろうが,それは 楽しくないと思うようになった.
ただし,人に読んでもらう様な文章を書くには,一発で仕上げることなど
私にはできそうもないので,この文章を書いている今はキーボードを叩いている.
もっぱら万年筆が活躍するのは,自分しか読むことのない,
仕事のメモと日記だけになりそうだ.
2011年7月20日水曜日
2011年1月6日木曜日
「風情故に雪を願い,利便の故に雪を嫌う」
正月休みにドカ雪が振り,
盛岡の街中の沿道にも
うず高く雪が積もっている.
雪が降るとめんどくさい作業が増え,
車の運転にも慎重を要し,
渋滞が増えたりして
生活の利便性は良くないのだけど,
雪はやっぱり風情があっていいと思う.
僕が高校生まで育った旭川では,
半年くらい雪と共に暮らしていたからか,
冬の足元に雪がないとしっくりこない.
でも実際にドカ雪が降ると
「やっぱ雪はイイっすネ」と
言いにくくはなるが,
風情故に僕は雪が好きなのだ.
雪は自然が降らせるものだから,
もっと降って欲しいと思ったところで降らないし,
降らないで欲しいと願っても降る.
「また こんなに降った」と,
「もう たくさん」と思っても,
人の思いとは関係なく降り続く雪は,
普段は気づかない人のエゴを炙り出すような気がする.
早く目的地に付きたいと思っても雪の渋滞で動けない.
車を出そうとしても雪にハマって動けない.
雪で滑って歩きにくい.
それらは全て雪のない日常が人にとってありがたい
状態であったかの裏返しだ.
しかし日常において,そのことに感謝する事を知らない.
でも,考えてみると
雪のふる北國に住む人は
心が温かいとか情緒豊かだと
言われることがある.
もしかしたら,それは人の力の及ばないことを,
毎年の雪に思い知らされているからではないか.
降った雪に文句を言ったところでどうにもならない.
雪を前すると諦めて除雪するしかない.
水害や地震に被災した人達が,その経験を堺に
生き方や自然に対する見方が変わるという.
毎年降るこの雪は,静かに僕らに語りかけると思うのだ.
人の及ばぬ力が雪を降らせるから,
僕らもそれを思わずにはいられぬ.
盛岡の街中の沿道にも
うず高く雪が積もっている.
雪が降るとめんどくさい作業が増え,
車の運転にも慎重を要し,
渋滞が増えたりして
生活の利便性は良くないのだけど,
雪はやっぱり風情があっていいと思う.
僕が高校生まで育った旭川では,
半年くらい雪と共に暮らしていたからか,
冬の足元に雪がないとしっくりこない.
でも実際にドカ雪が降ると
「やっぱ雪はイイっすネ」と
言いにくくはなるが,
風情故に僕は雪が好きなのだ.
雪は自然が降らせるものだから,
もっと降って欲しいと思ったところで降らないし,
降らないで欲しいと願っても降る.
「また こんなに降った」と,
「もう たくさん」と思っても,
人の思いとは関係なく降り続く雪は,
普段は気づかない人のエゴを炙り出すような気がする.
早く目的地に付きたいと思っても雪の渋滞で動けない.
車を出そうとしても雪にハマって動けない.
雪で滑って歩きにくい.
それらは全て雪のない日常が人にとってありがたい
状態であったかの裏返しだ.
しかし日常において,そのことに感謝する事を知らない.
でも,考えてみると
雪のふる北國に住む人は
心が温かいとか情緒豊かだと
言われることがある.
もしかしたら,それは人の力の及ばないことを,
毎年の雪に思い知らされているからではないか.
降った雪に文句を言ったところでどうにもならない.
雪を前すると諦めて除雪するしかない.
水害や地震に被災した人達が,その経験を堺に
生き方や自然に対する見方が変わるという.
毎年降るこの雪は,静かに僕らに語りかけると思うのだ.
人の及ばぬ力が雪を降らせるから,
僕らもそれを思わずにはいられぬ.
2011年1月3日月曜日
サイデル教授のかっこよさ
あけましておめでとうございます。
今年もどうぞよろしくお願いいたします。
私は正月休み中は 家でゴロ寝をしながら、ひたすらにテレビとネットを眺めて過ごしています。
この二つは時間を無意味にやり過ごすには最高のものだと今回つくづく思いました。
31日は紅白歌合戦を見ずにビートたけしが出演しているアンビリーバブルを見てるうちに眠くなって寝てしまいました。
怪奇現象などのネットビデオを紹介したり心霊写真を解説したりしているうちはまだ興味をもって見ていられたのですが、途中からフジテレビのスタジオに作ったお化け屋敷に芸能人を歩かせて驚く様子をみんなで面白がるという軽薄な内容となってしまたのが残念なところです。
今日は既に3日の夜なので明日の1日を過ごしてしまえば正月休みも終わって仕事始めです。
休み前はいろいろとやってやろうと思ってはいても、終わってしまえばなんともあっけないものですね。
このような堕落した正月を過ごしていると自分がさらに救いようのないダメ人間になっていくような怖さを感じますが、たとえ何かをしていても対して変わらないかとも思うので、そのように気楽に考えて自分を安心させております。
そういえば元旦の夜に、いつもは見ないNHK教育テレビをつけてみたら話題になっているハーバード大学サイデル教授の政治哲学の講義を連続で放送しているのを目にしました。
講義の中身はともかく、サイデル教授のかっこよさが光っておりました。
ズボンのポケットに手を突っ込みながら絶妙の間合いでジョークを飛ばし、重要なポイントを鋭く放つサイデル先生の授業スタイル、アメリカの政治家が選挙中に繰り広げる演説スタイルとダブります。
そして随時、学生に発言させる機会を与え、必ず最後に「君の名前は?」と聞くところが特に印象的です。
もう1つ注目すべきと思うのは、サイデル教授の授業の後、番組の最後で日本の先生が解説を加えているシーンです。
かっこよすぎるサイデル先生が登場してため息がでそうなすばらしい講義を聴いた後に、あの日本の先生のお話を聞くのは、アメリカの教育レベルと日本の教育レベルの差を見せつけられているようで皮肉でしかありません。
サイデル先生と解説している日本の先生の髪の毛は、同じぐらい薄いのだけど、二人を比較するとまるで大人と子供のようなオーラの違いを感じさせられるような気がしてなりません。
聞くところによるとサイデル先生の授業はアメリカの標準的な大学の講義スタイルなのだそうです。
日本の一方的な講義とはずいぶん違うことに驚いてしまいます。
日本の大学は少子化によって学生が少なくなっていくことですし、この際、大学の講義をアメリカのような積極参加型に改め、知識を詰め込むのではなく考える力を身につけさせる事を目指したらいいんじゃないでしょうか。
ゆとり教育が叫ばれたときに小中学生に考える力を身につけさせると言う話がありましたが、むしろ子供の時は知識を詰め込み、大学生ぐらいになってから深く物事を考える力を身につけさせる手順の方が、現実の社会で活躍できる人物を育てることができるのではないかと個人的には思います。
サイデル教授の哲学の講義の中身そのものは,正直なところどうでもいい内容なのですが,どうでもいい内容を楽しく人に伝える技術を学ぶ良い教材だと思いました.
そのうち録音して通勤の車の中で聞きたいと思っています.
今年もどうぞよろしくお願いいたします。
私は正月休み中は 家でゴロ寝をしながら、ひたすらにテレビとネットを眺めて過ごしています。
この二つは時間を無意味にやり過ごすには最高のものだと今回つくづく思いました。
31日は紅白歌合戦を見ずにビートたけしが出演しているアンビリーバブルを見てるうちに眠くなって寝てしまいました。
怪奇現象などのネットビデオを紹介したり心霊写真を解説したりしているうちはまだ興味をもって見ていられたのですが、途中からフジテレビのスタジオに作ったお化け屋敷に芸能人を歩かせて驚く様子をみんなで面白がるという軽薄な内容となってしまたのが残念なところです。
今日は既に3日の夜なので明日の1日を過ごしてしまえば正月休みも終わって仕事始めです。
休み前はいろいろとやってやろうと思ってはいても、終わってしまえばなんともあっけないものですね。
このような堕落した正月を過ごしていると自分がさらに救いようのないダメ人間になっていくような怖さを感じますが、たとえ何かをしていても対して変わらないかとも思うので、そのように気楽に考えて自分を安心させております。
そういえば元旦の夜に、いつもは見ないNHK教育テレビをつけてみたら話題になっているハーバード大学サイデル教授の政治哲学の講義を連続で放送しているのを目にしました。
講義の中身はともかく、サイデル教授のかっこよさが光っておりました。
ズボンのポケットに手を突っ込みながら絶妙の間合いでジョークを飛ばし、重要なポイントを鋭く放つサイデル先生の授業スタイル、アメリカの政治家が選挙中に繰り広げる演説スタイルとダブります。
そして随時、学生に発言させる機会を与え、必ず最後に「君の名前は?」と聞くところが特に印象的です。
もう1つ注目すべきと思うのは、サイデル教授の授業の後、番組の最後で日本の先生が解説を加えているシーンです。
かっこよすぎるサイデル先生が登場してため息がでそうなすばらしい講義を聴いた後に、あの日本の先生のお話を聞くのは、アメリカの教育レベルと日本の教育レベルの差を見せつけられているようで皮肉でしかありません。
サイデル先生と解説している日本の先生の髪の毛は、同じぐらい薄いのだけど、二人を比較するとまるで大人と子供のようなオーラの違いを感じさせられるような気がしてなりません。
聞くところによるとサイデル先生の授業はアメリカの標準的な大学の講義スタイルなのだそうです。
日本の一方的な講義とはずいぶん違うことに驚いてしまいます。
日本の大学は少子化によって学生が少なくなっていくことですし、この際、大学の講義をアメリカのような積極参加型に改め、知識を詰め込むのではなく考える力を身につけさせる事を目指したらいいんじゃないでしょうか。
ゆとり教育が叫ばれたときに小中学生に考える力を身につけさせると言う話がありましたが、むしろ子供の時は知識を詰め込み、大学生ぐらいになってから深く物事を考える力を身につけさせる手順の方が、現実の社会で活躍できる人物を育てることができるのではないかと個人的には思います。
サイデル教授の哲学の講義の中身そのものは,正直なところどうでもいい内容なのですが,どうでもいい内容を楽しく人に伝える技術を学ぶ良い教材だと思いました.
そのうち録音して通勤の車の中で聞きたいと思っています.
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