2011年11月3日木曜日

等速直線運動

車に乗って高速道路を走らせていた時,
時速100キロで滑るように走る車の中で
自分が止まっていて,フロントガラスに
投影された風景だけが動いているのを
眺めているような錯覚に陥った.

時速100キロという高速で移動しているのに,
体に加速度を受けなければ,
静止しているのと区別できないことを思ったとたん,
私の思考は,自動的に別のことへ移ろった.

変化のない漫然とした生活を送る者がいたとしたら,
果たして生きていると知覚できているのだろうか.
変化のない生活は,まるで等速直線運動のように
静止した状態との区別を難しくするに違いない.

「生きているのか死んでいるのか?」
「生きている意味はなんだろうか?」

時速100キロで滑るように走る車の中で,
静止した車に乗り,映画を見ているような錯覚は,
震災で歪んだ路面の段差に乗り上げた瞬間,
走っている実感で心は満たされ,
溶けて透明なって存在を失った.

意味を求めつづけ,さまよえる心は,
実はとても単純なことで足元の羅針盤に
気付くことができるんじゃないかと私は思いながら
完全の下り坂のカーブに差し掛かっているのを見て
現実とダブった気がして一人苦笑いした.

2011年11月1日火曜日

堂々巡り

もう11月かとため息が思わず出てしまった.
確かに空気は,冷たくなって上着が必要なった.
庭のドウダンツツジは,去年よりも赤く染まった.

7月から書き始めた日記帳の1ヶ月前,
2ヶ月前,3ヶ月前と振り返ってみると,
あっという間に過ぎ去ったような時間は,
それなりの厚みを持っていることを知る.

この11月の1ヶ月間もまた,
矢のように過ぎ去ることだろうが
今,予想もしない事が起こる1ヶ月になるのかも知れないし
何事もない普通の1ヶ月かも知れない.

平穏無事を願った今年の正月に,
たとえ今年あった出来事や状況を夢に見たとしても,そ
れが現実の未来だと信じることができただろうか.

今ものすごい勢いで世の中がマイナスの渦に
引きこまれて,奈落のそこへ落ちていくような
状態にあるように思えてならない.
磁石が引き合い距離が短くなるほど
ますます,力強く引きあうように
状況は,どんどん悪い方へ加速度的に
引き寄せられていくのではないか

などと,悲観的に考える一方で,
なんとかなると楽観的になる自分もいる.
優れた人達が切磋琢磨する日本が,
必ず再起動すると信じている自分がいる.

結局は,中途半端な知識による不安と
根拠のない安心感のバランスで
私は精神の安定を保っているのか.

そして,考えの息つく先が全て無意味に感じる時,
虚無感が私を絡めとる.
生きる意味を失いかねないブラックホール.

痛みの感覚が与えられたのは,
希望を失いかけた時でも
生き続けられるようにだろうか.
その痛みを知る時,生きる道を諦めた
罰を与えられたということか.

だんだんと考えるのがめんどくさくなって,
肥えた腹は,グーと鳴り,
食欲に私は命ぜられ,だるい体を持ち上げる.

生きる喜びとは欲を満たすことだろうか.
人と動物の違いについて考えると
私は果たして人といえるのか疑問にも思えてきて
そうなると,もう笑うしか無い.

そして幼い息子や娘をみるとき,
生きる意味が意味の解釈を経ずに
私に力を与え,朝の夜明けに,
再び起き上がる力を与えてくれるのだ.



2011年10月31日月曜日

鳥肌の立つ場所

3ヶ月前から手書きで日記をつけるようになってから,
自宅でパソコンに向かう時間が惜しくなるようになってしまい
ただでさえ更新が滞りがちなブログの文章は,
ますますほったらかしが続いていたのだけれど,
久しぶりにキーボードで文章を書いてみたい気持ちが湧いてきた.

しかし,日曜日の23時35分という微妙な時間に書き始めた文章は,
導入部分で既に躓いている状況で,
しまいにはどうでもいいような気になって
途中で投げ出してしまいそう.

これをあなたが読んでいるということは,
そんな事が心に湧き怒りながらも,なんとかめげずに,
読んでもためにならない,書いても見返りもないこの文章を
私がなんとか書き終えたということを意味しているのです.

今日は,夜になってから雨が降ったのか,外からは
雨だれの音がボツボツとこだまして低い音が響いており,
途切れなく続くその音は聞く耳を休ませることを許してくれません.
温かい家の中にいて外の雨だれを聞くことは,
外の寒さを想像する余裕を私に与え,
幸せを感じさせてくれる瞬間でもあります.

今日は,鳥肌がたつ経験をしました.
大げさかもしれませんが身の毛もよだつという表現が私にはぴったりきます.
別に怪物を見たとか何か恐ろしいものを見たという事ではないのですが,
何かの存在を私は感じました.
37年間生きてきて記憶にあるかぎりあまり経験のないことです.
このことについて書いてみましょう.

週末に私はドライブへ田沢湖まで出かけることがよくあります.
私の住んでいる盛岡近郊から田沢湖までは車で1時間程度で行くことができ,
風景も綺麗でドライブにはちょうどいい場所です.
私がよく出かけるのは田沢湖の南側にある「秋田県民の森」か,
あるいは西側にある「かたまえ山森林公園」,
東側の田沢湖高原の温泉地あたりです.
特に県民の森とかたまえ山森林公園は共に少し小高い場所にあって
田沢湖を一望できる散歩にはもってこいの場所です.
かたまえ山森林公園には滑り台などの遊具もあり,
いつ行っても空いているので,3歳と6歳の子供たちがいる
私たち家族にとってお気に入りの場所の1つとなっています.

今日も田沢湖に私たち家族は出かけていたわけですが,
たまには違うところへいってみようということで,
田沢湖の北側にある,鏡石に行ってみることにしました.
田沢湖の周囲には湖岸を取り囲むように道路があって,
車で湖の全周へアクセスできます.
今は紅葉の時期で田沢湖周辺を走る車がいつもより多いようでした.


何度も田沢湖には出かけているのに,
この「鏡石」という場所は,まったく行ったことがありませんでした.

鏡石入り口にあるドライブインを兼ねたおみやげ屋さんの駐車場に
車を停めて,矢印の案内に従って私たち家族は歩き始めました.
駐車場から鏡石までは,300mm程度の距離があって,
後半200mは,急な上り坂となっていました.
上り坂には丸太が埋め込まれた階段が作られていて,整備されています.

登る途中,3組の家族とすれ違いましたが,
私たちと同じタイミングで登る人達はおらず,
麓のドライブインにいた観光客の数とは対照的に
寂しい雰囲気の参道でした.

上り坂100mほど行ったところに「願橋」という木製の橋があり,
切り立った崖をつないでいました.
ふと見上げると「かなえる岩」という立て看板表示がついた巨石が
今にも落ちてきそうな格好でこちらを覗いていました.
6歳になる息子が走って願橋を渡ろうとしたのをたしなめた時,
橋の手すりを見るとたくさんの願いことが書き込みされてありました.
きっと地元の民間信仰みたいなものがあるのでしょう.
家族の病気が回復するようにとか試験に受かりますようにとか
ところ狭しとマジックやボールペンで書きこまれていました.
願橋から更に100mの急な上り坂を,3歳になる娘を抱えながら,
私たち家族は散歩を楽しんていました.
息子も階段の脇にどんぐりを見つけては,これは大きいだとか
あれは虫が食べた穴があるとか言いながら集めていました.

残り100mの坂は中間地点にちょっとした踊り場みたいな
場所があってそこから少し「く」の字に曲がっていて,
前半50m以下の地点からは直接上が見えないようになっていました.
その踊場について一息つく間もなく上を見上げると,
なんだか私は違和感を覚えていました.
うまく言葉では言い表せませんが,薄気味悪いと言うかなんというか.
しかし,急な坂を途中まで登ってきた労苦を思うと,
どうしても達成感を得たいという意識が働き,
不安な気持ちは,直ぐに薄らいでしまい,そのまま私たちは上りました.

上り坂の「終着点」は,木製の展望台のような作りになっていて,
45度くらいの階段が15段くらいありました.
階段を登りきって私の視線に入ったのは.お金でした.
展望台の手すりは,木の丸太で作られているのですが,
割れた隙間にはビッシリと5円とか1円硬貨が差し込んであって,
手すりには触れられない状態でした.
その手すりを支える柱の部分には所狭しと願いことが書きこまれています.
願橋にあった願い事よりもより多くのことが小さな字で書きこまれていました.
癌が治りますようにという言葉がいくつも目に止まりました.
死期を悟った人が家族への思いをかたどったであろう言葉もありました.

そこから20m程度はなれた断崖に「鏡石」はありました.
すこし風化したしめ縄がとりつけられており,石の表面は
苔で覆われているのが見えました.
私は特に感慨もなく,今度は登ってきた坂道を下る労苦を思って
うんざりした気分になっていました.
3m四方程度の展望台のようなスペースには,
私たち家族しかいなくて登ってくる人達もいません.

6歳の息子が早く帰ろうというので,一休みもそこそこに
展望台の階段を下り始めました.
すると,私の後ろから何かの気配を感じるのです.
はじめはその気配も気のせいだと思っていましたが,
今度はだんだん,体の表面がゾクゾクとして鳥肌がたってきます.
私は3歳の娘の抱っこしながら階段を一歩づつゆっくりと
下っていきますが,背後の存在感の大きさに耐えかねては,
振り返って後ろを見つめました.

しかし,なにも居ません.

ところが何も見えませんが,何かがそこに存在する気配を感じるのです.
振り返って見たときに見えない存在は,隠れることもせずその場所から
こちらを伺っているそんな具合です.
気持ち悪さを一人でやりすごすことができなくて
私は横を歩くかみさんに話しかけました.

「誰か居るような気がしたけど気のせいだよな」と.

カミサンは,そっと囁くように「私はさっきから鳥肌が立ってる」と
言うではありませんか.

「きっとこういうふうに祀ってあって,入り口にも鳥居があったのも
理由があるんじゃない」と続けて言いました.

その間も私は,私達に近づいてくるような背後の気配を背に,
何度も振り返っては何も見えないことを確認することを繰り返しました.
50m下った「く」の字の踊り場地点に降りてきたら,
急に気配は消えました.

何かを見たわけでもないのに,私に存在するという
感覚をもたらした情報は一体何だったのでしょう.
少なくともあの場所は,自分にとって容易に近づけない場所になりました.
行ったことのある人で似たような経験をした人はいるのでしょうか.

では,おやすみなさい

2011年7月20日水曜日

キーボードと万年筆

初めてパソコンのキーボードに触れた中学2年生の頃から
文章を書く時は,キーボードを通じてテキストを入力してきた.
14歳の頃から打ってきたこともあって,結構キーボードは
早撃ちできる方ではないかと思ったりもする.

けど,文章を書いてやろうとキーボードに手を置いても
スラスラ文章を思い浮かべて入力できるかというと,そうでもない.
キーボードで言葉を入力しては,消してまた入力の繰り返し.
消せるから,紡ぐ言葉に覚悟がないのだと思う.

2週間ほど前に,机の掃除をしてたら安物の万年筆を見つけた.
きっとなんかの入学記念とかでもらったものだと思う.
赤いペンだったから,自分がもらったんじゃなくてカミサンが
もらったものかも知れない.
軽い気持ちで手にとって,いつも持ち歩いているペンケースに入れ,
先日 仕事でメモを取るのに使ってみたら,なんだか気持ちよく字が書けた.

いつも使っているボールペンよりも,万年筆のインクは,
もっと濃くて深い黒で,なめらかに書けると感じる.
力をいれれば,加減に応じて毛筆のように太さが変わって
メリハリの効いた字が書ける気がするのだ.

「万年筆でメモをとっていると気持ちがいい」
字を書くのが楽しくなった.

1週間ほど使っている間にすっかり万年筆が気に入って,
少し太めの中国製の安物万年筆をヤフオクで買った.
値段は430円.でもコンバータ方式になっていて,
ボトルのインクから補充できたり,重量感もあってあなどれない.
ちなみに定価は3800円とあった.本当か嘘かはわからない.

この新調した安物万年筆は,使いきりのボールペンなどよりも
かなりインクが多く出るようだ.
補充してもノートを4ページ程度書いているとコンバータの
インクはすっかり無くなって,すぐに補充する必要がある.
だからといってインクが出すぎて字がにじむということもない.

インクの減りが早いことは,私にはメリットに思えてならない.
インクが無くなるほど書いたという充足感がたまらなく心地いい.
もうこんなに書いたのかと,減ったインクを眺めながら
コンバータにインクボトルから新しいインクを吸わせて満たす.
インクが満タンになったら心も満タンになったような満足感.
再び万年筆を走らせたくなる.

文章を書くなら,キーボード入力しようが,ノートに鉛筆で書こうが
万年筆で書こうが,出来上がるものは同じであると私はこれまで
信じて疑わなかった気がする.これは間違いだったと気付かされた.
文章を書くという行為は,書くときの気分にずいぶん左右される作業だ.
もし書くことが一字一句決まっているなら同じかも知れないが,
少なくとも今の私は,万年筆を持って文章を書こうとする時と,
キーボードに手をおいた時の文を書く楽しさは確かに大きく違う.

一字一句を頭に思い浮かべて,字を思い起こしながら,万年筆を紙に走らせ
紙に載ったインクの乾き具合をみて,減っていくインクの量を実感しつつ
うまく書けた字を眺め,万年筆を引き続き走らせていく昔ながらの行為は,
その瞬間瞬間に思い通りにいったとか,ちょっと失敗したとか,
心のなかでの応答があって,それが心地良さとなっている.
書く行為そのもので新たな言葉が浮かんでくる気がする.

効率と便利を追求するなら,圧倒的にキーボードを通じて
電子的なテキストにしたほうが時間も短縮できて効率も
よいだろうが,それは 楽しくないと思うようになった.

ただし,人に読んでもらう様な文章を書くには,一発で仕上げることなど
私にはできそうもないので,この文章を書いている今はキーボードを叩いている.

もっぱら万年筆が活躍するのは,自分しか読むことのない,
仕事のメモと日記だけになりそうだ.

2011年7月9日土曜日

暑い夏

今年の暦の基準は,3月11日.
季節の移り変わりを表現するとき,
あれから何ヶ月と数えてしまう.

3月11日の頃は,まだ雪が降っていた.
季節は,もう夏.
あっという間だったようであっても,
じっくりと振り返れば,
色々あった約4ヶ月.

漠然とした盤石を疑うこともなく
過ごしてきた日々が,
いかにもろいかを思い知らされた.

「無常」が「無情」と心のなかで重なる.

人は築き上げたものが奪われゆく時,
はじめて自分が何者でもないことに気づき
そこから生きることの意味を否応なしに
考えざるを得なくなるのか

死ぬことの意味を知っているようで知らない.
裏をかえせば,それは
生きていることの意味を知らないともいえよう

自分が何者で何を為すべきために今生きているのか,
何をしたいのかさえも,この頃わからぬまま,
今日も朝を迎えた

2011年4月26日火曜日

漠然とした不安とmilkモジュール

皆様おはようございます.
今朝の滝沢村は,雨だれの音が音がこだましていて
どんよりとした雲が低く垂れこんでおります.

地震から日が経つに連れ余震の頻度は落ちてきた
はずなのに,正直なところ気持ちは落ち込む一方です.
なにか悪いことが起こるのではないかという,
なんともいえない気持ち悪さが心から離れません.
そんなことは無いさと思ってみても,気を緩める頃には
決まって地震に大地が震え,私は再び悪い予感に
とらわれるという循環になっています.

自分の心に素直に向き合い,本能の声に耳を傾けるならば
「これだけでは済まされない,もう一つ何かが起こるよ」
というささやきが聞こえてくるようです.
その声を無視して日常をやり過ごせばよいのか,それとも
理屈では説明のつかない悪い予感に従えばいいのか,
まだ割り切れずにいながら,時間が過ぎていきます.

ところで,ここまでの話と全く脈略がありませんが,
ここからガラリと話題を変えまして...

先日,少し知的な処理をコンピュータにやらせたいと思いまして,
pythonの機械学習モジュールについて調べてみる機会がありました.
そのとき見つけた「milk」というモジュールについてメモを披露したいと思います.

「milk」は名前の印象とは関係なくって複数の機械学習
アルゴリズムを集めたpythonパッケージのようです.
SVMやboostingなどをお手軽に使えるところが気に入りました.
複数のアルゴリズムを組み合わせて使うことも考慮されています.
残念なことに,milkのドキュメントは2つくらいしか見つかりません.
pypiとluispedroです.
インストールは「easy_install milk」でいけました.

使い方ですが,サンプルを引用します.
import numpy as np
import milk
features = np.random.rand(100,10)
labels = np.zeros(100)
features[50:] += .5
labels[50:] = 1
learner = milk.defaultclassifier()
model = learner.train(features, labels)
example = np.random.rand(10)
print model.apply(example)
example2 = np.random.rand(10)
example2 += .5
print model.apply(example2)

milk.defaultclassifier()は,お手軽に使えるように
あらかじめデフォルト設定された学習機となっていて
SVM=Support Vector Machineを使った学習となっています.
教師信号として入力する特徴量(features)と対応するクラスタラベル(label)を
入力してやります.
特徴量の正規化や線形従属な要素の除去なども全自動でやってくれます.
defaultclassifier()では複数のクラスタに分類するためにone-versus-rest手法が
用いられるようになっています.
もちろんこれらの組み合わせを自分で自由に設定することも可能です.
defaultclassifier()の中身は,次のようになっているようです.
defaultclassifier = ctransforms(
   chkfinite(),
   interval_normalise(),
   featureselector(linear_independent_features),
   sda_filter(),
   gridsearch(one_against_one(svm.svm_to_binary(svm.svm_raw())),
   params={
     'C': 2.**np.arange(-9,5),
     'kernel': [svm.rbf_kernel(2.**i) for i in np.arange(-7,4)],
   }
))
ctransforms()というのが複数のフィルタ(学習器)を束ねてくれるmilkのAPIです.
そのなかで1つづつ与えられている引数の要素がそれぞれ別個の学習機や
フィルタとなっています.
・chkfiite()は,特徴量やラベルに無限やNaNなどが含まれていないかチェックするフィルタ.
・interval_normalise()は,特徴量を正規化するフィルタ.
・sda_filter()は,判別分析を行うフィルタ.
・gridsearch()は,多値問題をグリッド検索に基づいて与えられた学習器で学習するフィルタ.
・svm.rbf_kernel()は,Support Vector Machineのradial basis function kernel.

milkのフィルタ(学習器)は,皆 learn_func(features, label)のような引数を持つように
設計されていて,ctransforms()で束ねて与えると,パイプライン処理により1つの
学習機として動作するようになっているようです.

冒頭のサンプルコードに戻りますが,学習器のインスタンスを生成した後,
「train」で特徴量とラベルを与えて学習させます.
learner = milk.defaultclassifier()
model = learner.train(features, labels)
処理には数秒を要します.学習が終わると学習モデルが得られますので,
未知の特徴量を与えれば,学習結果に基づいて分類してくれます.
print model.apply(example)
学習モデルは,pickle化できるのでディスクから読み込むことも可能です.

OpenCVと組み合わせたり,あるいはネットから集めたデータを
自動分類したい時など,お手軽に使えるのではないでしょうか.

2011年4月21日木曜日

近況報告と64bit windows環境でのCython

皆様こんにちは.
どうやら2ヶ月ぶりの更新だったようです.
2月から3月までは,ただブログ更新をサボっていただけなのですが,
3月から4月にかけての1ヶ月間は リアルな生活で精一杯でした.
ようやく余震は,頻度も規模も小さくなってきて3.11以前の日常に戻りつつあります.
大震災で亡くなられた皆様のご無念を思うと切なくてなりません.
亡くなった皆様のご冥福をお祈り致しております.
また被災者の皆様には一日も早く落ち着いた生活を取り戻せますように祈っております.

日本政府の遅々とした対応には憤りを感じるばかりです.
奮闘している現場と対照的に政府にはリーダーシップのかけらも感じられません.
今回の大震災は被災地が広範囲に渡っているとはいえ散々な対応ぶりに見えます.
震災以前は,日本政府の能力は高く国民主体であると漠然と思って疑いませんでしたが,
これが大きな勘違いであったと今回の出来事で思いました.
普段あまり意見の合わないカミさんとさえも,この点においては意気投合しておりましたので,
世の中の皆さんにもこのように感じた方が少なくないのではないかと
勝手ながら想像しているところです.
どうか日本に一刻も早く良きリーダーが与えられて人々が希望を胸に
前に進むことができるようにと強く願い,毎日祈る日々です.

 私の近況ですが..地震の後 3日ほど停電,
その後の余震でも1日程度停電があった事などで
仕事にも多少の影響はでておりましたが,
事前の計画を遅れなく実現すべく開発業務に勤しんでいます.
 この頃は,もっぱら物理現象を観察しその現象をある程度再現する
なるべく簡略なモデル式とパラメータを探すといった地味な仕事をしております.
地味な仕事とはいえ このような最適化の作業は,物理の教科書をほっくりかえしつつ,
過去にサボったツケを実感しながら,
試行錯誤の繰り返しと計算の待ち時間のやり過ごし方など
ストレスの多い作業となっています.
 数時間かかった最適化計算が収束せず,良く調べてみたら計算プログラムのバグに
行き着いたときに感じる無気力感を 気持ちの隅に追いやりながら
作業を継続せねばなりません.
 以前は最適化計算をさせるためにC++やCを使っていましたが,
この頃は Python+SciPy+Numpyの組み合わせが気にいております.
特に「scipy.optimizeパッケージ」に感謝です.
 私は普段,Intel T7600(Core2duo 2.3GHz)+32bitVistaのノートPCを
持ち歩いて仕事しているのですが,最適化の計算だけは時間がかかってしまうので,
その時だけちょっと速そうなデスクトップパソコンを起動して計算させています.
例えばAMD PhenomII3GHz+Vista64bitなどにPythonスクリプトを走らせると,
T7600ノートPCでは及びもつかないスピードで計算してくれます.
当初は,私もこれだけで満足していたのですが,どんどんフィッティング対象の式が
複雑怪奇なものに成長するにしたがってPhenomマシンでも待ち時間が長くなり
どうしたものかと悩むようになりました.
 JITで早いとウワサのPyPyを試してみようと思いましたが,残念なことに
NumpyもScipyもPyPyでは動きませんので箸にも棒にもかかりません.
 そこで,Cythonを試してみることにしました.
Cythonは,Pythonもどきのスクリプトを書いてあげるとCに変換してくれて
pythonからimport可能なDLLを生成してくれるものですが,
現時点におけるpython高速化の確実なソリューションといえると思います.
 しかし普段やらないことにとりかかるのは億劫なものです.
ドキュメントも読まねばなりません.
こういうパッケージを追加していざ取り組んでみると落とし穴にハマって
抜け出せないことが多々あります.Cythonも例外ではありませんでした.

 結論からいうと,Vista32bit環境でCythonを使うことは全く問題ありませんでした.
Vista32bitではVisual Studio2005をインストールしているけれども,
mingwでコンパイルする設定を追加しておりますが問題もなく動きました.
きっとVCでもサクっとコンパイル出来るに違いありません.
私のVista32bit環境python27にあるLIB/distutils/distutils.cfgの中身を書いておきます.
[build]
compiler = mingw32
Cythonスクリプトをコンパイルしたときのsetup.pyは次のとおりです.
from distutils.core import setup
from distutils.extension import Extension
from Cython.Distutils import build_ext
ext_modules = [Extension("hoge_func", ["hoge_func.pyx"], include_dirs=["C:/cygwin/usr/local/Python27/Lib/site-packages/numpy/core/include"])]
setup(
  name = 'hoge function',
  cmdclass = {'build_ext': build_ext},
  ext_modules = ext_modules
)
これでhoge_func.pyxにCythonスクリプトを書いておいて
"python setup.py build_ext --inplace"を実行すればサクっとコンパイルされて
pythonから"import hoge_func"できて恩恵に預かることができました.
ただしVista32bit環境だけです.
 Vista64bit環境のCython設定でハマりました.
正しく言えばdistutilの設定ということでしょうか.
Vista32環境+Cythonで十分早くって64bitで動かすことをしなくてもいいぐらい
高速化されたんですが,欲が出まして Vista64でも scipy+numpy+cythonの
最適化計算環境がどうしても欲しくなりました.
そこで 64bitネイティブなmingw64でもないかと探して"x86_64-w64-mingw32-gcc"なるものを
見つけインストールしsetup.pyを走らせましたがエラーを吐きます.
エラーの内容はもはや思い出せませんが,多数のエラーにブチ当たりました.
行き着いた先が,「Compiling 64-bit extension modules on Windows」というドキュメント.
64bitでcythonを楽しむためには次の条件を揃えねばならないようです.
1.Python2.6か2.7もしくは3.1
2.Microsoft Windows SDK for Windows 7 and .NET Framework 3.5 SP1が必須
 つまり,mingw64は使えないということです.
先程のドキュメントにはSDKバージョンは"Microsoft Windows SDK for Windows 7 and .NET Framework 3.5 SP1"以降となっていますが,最新版をインストールしてもコンパイルできませんでした.
SDKのダウンロードも結構かかった上に2種類もインストールしたり,
インストール中にフリーズしたりとハマリにハマってやっとコンパイルできました.
コンパイル時の呪文も書いておきます.
これをバッチファイルやMakefileなどに書いておくといいかもしれません
C:\Program Files\Microsoft SDKs\Windows\v7.0>set DISTUTILS_USE_SDK=1
C:\Program Files\Microsoft SDKs\Windows\v7.0>setenv /x64 /release
python setup.py build_ext --inplace
 苦労した割に,振り返ってみると大した事ではなかったのに
いったい何でハマってしまうのかと毎回思うのですが,
知らないもんは知らないのですからしょうがないと諦めます.
 ちなみにCythonの高速化は,ハンパではありませんでした.
正確にベンチマークとったら報告したいと思いますが,
体感スピードでは100倍以上早くなったといっても大げさではないと思っています.