2011年2月3日木曜日

健康食品

今週の週明けは,新幹線移動による日帰りでの出張からはじまった。
その日の盛岡の朝は,寒かったが晴れ渡った空に上る朝日がまぶしい。
きっとこの寒さは放射冷却現象という現象に違いないと思った.
以前はこの言葉を天気予報でよく聞いた気がするのだが、
このごろあまり聞かなくなったのではないか。
私は出張の時に、決まって乗る盛岡駅行きのバスには乗らずに、
青山駅まで徒歩で向かった。
途中の歩道は凍っていて転倒するかしないかは運みたいなものだ。

歩くと汗が心地よい。

体によいことをすると気持ちがくなるように
人間の体はできているのだと誰かに聞かされことがある。
しかし「体によい気持ちよさ」が得られる機会とは、
実に限られているものではないか。

たとえば,昨今、健康ブームもあってか
様々な健康食品が世にあふれている。
だが健康食品が体によいものであっても
直接的な心地良さを効能として体感できるものではない。
病気の際に飲む薬とは違って効果が見えないのだ。
健康が持続していることこそが健康食品の効果であると
いえるかもしれないがそれが、
直接的に影響したのかどうかはわからないのだ。

ここで前述の通り体によい事をしたときには
心地よさが得られるような体の仕組みが
実際に存在したと仮定しても、
健康食品にはそれが当てはまらないことは明白だ。
強いて健康食品を摂取したときに得られる
心地よさをあげるとするならば、
「おいしさ」や「はごたえ」といった味覚と食感のみである。

乏しい直接的効能にも関わらず高価な健康食品に人気があるのは、
カタログや説明書に書いてある効果が得られたという体験談や
毎日継続して飲んでいるのだからきっと効き目があるに違いないという
目には見えない働きを信じているのだ。
つまり期待感や自己満足と行った
心理的快感を得ているにすぎない。

現代人は理性や科学を信じたことによって、
理屈で説明が付かない事柄には関心がなくなったかといえば
このことからも違うことがわかる。
健康食品一つとってみても、
自分の体への有効性を確かめることもなく
高価な健康食品を信じて今日も食べるのだ。
健康食品のラベルやパンフレットには
体によい根拠が記載されているではないかという
主張が聞こえてきそうだが、実際にそれを検証した
客観的事実を確認しつつ飲んでいる人たちがどれだけいるだろうか。
コレステロールにいいとか、おなかにいいと言われていることがらを
有効成分の働きなどを交えて科学的に説明する広告を見て、
それが自分の体にも聞くに違いないと信じるから買うのだけど、
自分の体への有効性が保証されているわけではないのに
それを追求せず今日も健康食品を食べ続けるのだ。
医者からもらう薬でさえ、風邪をなかなかなおしてくれず、
時と場合によって効果があったりなかったりするというのに
自分用に特別に作られたものでもない「食べ物」や「飲み物」がなぜ、
個人間で異なる様々な体質の人間たちに
一様に有効であるといえるのだろうか。

それでも健康食品を買って飲むのだから、
それを動機づけしているものとは、
自分の健康が損なわれそうな可能性を恐れ、
健康食品のもつ目には見えない働きに、
自分を健康にしてくれるのではないかという
期待感であると思うのだ。

「実際に少しでもプラスならよいではないか」
そのような許容によって、私たちは
目に見える世界と見えない世界の狭間で
揺れ動く心のバランスを
保っているのではかなろうか。