2012年9月30日日曜日

以前なら休日には意味もなく片道100キロ以上遠いところを
なんとなく目指して車を走らせ遅い昼食を出先で食べて
休日を過ごしたものだったが,この頃は遠くても片道50キロ圏内.

白樺並木の岩手県民の森や田沢湖を見下ろす秋田県民の森のあたりを
目指すことが多い.白樺には,ゴマダラカミキリがついていることがあって,
見つけては小学1年生の息子が歓喜をあげる.
その向こうで,しかめっ面をしたカミさんが定番である.

最近みつけたお気に入りの場所は,雫石の葛根田川の河川公園.
昨日もそこへ散歩に出かけた.
大型のトノサマバッタがいっぱいいて虫取りあみがあれば結構楽しめる.

この公園の敷地は,かなり広大で 車を置ける場所から,最も深部まで
歩いて20~30分位かかる.
そんな場所を,昨日はじめて端まで歩いてみた.

公園には私達家族の他に,犬を散歩させている地元の若い女性が1人.
脇を流れる葛根田川の水の音しか聞こえない.
人があんまりこないからなのか,あまり会いたくないものに複数遭遇した.

まずあったのは,カラスの死体.
興奮して報告する息子に速攻で「近づくなよ」と司令を飛ばす.

次に地面をはう蛇.
動いているのを確認した次の瞬間には地面の穴へと滑るように吸い込まれていった.
いつの間にか棒をもった息子が執拗にほじくったけどしっぽも見えず.

どんどん歩いていくと,葛根田川へ流れこむ支流に行き着いて,
そこが公園の南端であった.支流は東の小岩井方面から流れ込んでいて
その水は葛根田川よりも澄んでいるように見えた.

そこで,蛇2匹と遭遇.
かなりの大物であった.
4歳の娘の背丈よりも明らかに長かった.
私と娘のすぐ背後を大型の蛇が通過していったのを見たときは,
さすがに肝を冷やしたというか,凍りついてしまった.

カミさんは,一緒に来ずに車の近くで腰を下ろしてケータイをピコピコやってたから
蛇を見ることはなかった.

周囲に落ちてた3匹分の蛇の抜け殻をおみやげにすると言ってきかないので
持って帰ってきた.
1メートルくらいの長さがあって完全な蛇の形状をとどめている抜け殻は,
まだしっとりとして新しいものであるように感じられた.
目や口だっただろう部分も確認できた.

「財布に入れるとお金持ちになるよ」と息子が教えてくれた.
誰から聞いたのだろうか?私は知らなかった.
このまま入れるには大きすぎなので少なくともちぎって入れる必要がありそうだと
考えている自分から急に我に返り苦笑するしかなかった.

疲れたという娘をかたぐるまして車まで20分くらいかけて戻る途中,
娘が握る蛇の抜け殻が何度も顔をかすめるたびに獣臭い香りがして
なまなましかった.このまま財布に入れたらかなりキツそうである.

蛇の抜け殻をぶら下げなら歩いてきたカミさんが小さく悲鳴をあげ のけぞった.
でも財布には入れるつもりのようだ.
自分にはよく理解できない.

2012年9月29日土曜日

冷たい空気

急に秋になった.
日中も窓を開ければ,PCの排熱でどんよりした空気が,
心地良い涼しい風で流れていくようになった.

「9月」
一体何を自分はやっていたのか簡単には思い出せない程に
あっという間に終わってしまった.

歳を取る毎に自分のクロック周波数は落ちており,単位時間あたりの
情報処理量は,確実に低下していることを実感している.
中年と言われる年になった.そうだ誕生日も近い.


生前の祖父に「体が資本だ」と言われたものの,
よくわからないままうなづいていた少年時代を思い出し,
あの頃に戻りたい衝動にかられている.

この頃の私の仕事を取り巻く状況は,一言で表現すると
息つく暇もないという感じ.
大きな夢を追いかける開発と,切羽詰まった感じのデスマーチな開発と,
開発以外の雑多な業務をグルグルと回っているうちに,
めまいがしてきている.

そして仕事の関係で外食が増えて,お腹が大黒様の様になってきた.
怖くて体重計にのってないが,10年前と比較すると10キロ以上太った.
タバコをやめたせいもあるのだけど,食べる量はかなり増えた.
無意識にもストレスを食事で発散させている面があるのかもしれない.

まあ,仕事でいろいろあってため息がでることも多々な状況ではあるのだけど
昨今の日本の製造業が猛烈な下降線をたどっているまっただ中で,
夢を追いかける研究開発を行えている状況は幸せなことだと,
心の中で感謝の気持ちを忘れずに,クライアントからの受託開発と
並行して固有技術の開発に勤しんでいたりしている.

クライアントからの受託開発も,ハンパなく難しいもので,世の中の切羽詰まった感が
その開発にも凝縮されていたりして,どうやって厳しい要求仕様を満たそうか
頭を抱えたりもしている.
度重なる要求仕様の変更と追加と,一方でコストダウン要求にはうんざりである.
そんな仕事はやらない!と机を叩いてドアをバンとしめて帰ってきたいものであるが,
鬼に見えるクライアントの担当の方とも長いお付き合いで,さらにその方の人間的魅力と
行動力と資金力を前にすると,私もなんとかしてあげたいと優しい気持ちになって
「何とかします.やります」って言っちゃうのです.

でも開発難易度は,相当なものなので どこかに智慧は無いものかと,
世界中から論文を集めて読んでみるものの不毛な時間が過ぎ去ったりと苦労は絶えず.
今日は,期待して2週間前に注文していた分厚い海外の高価な文献が届いて
早速読んでみたが,期待は大ハズレでズッコケた.
社内に回覧して様子を見てたら,パラパラとページをめくって無言であった.
「どうしようもないもん買いやがって」というテレパシーが伝わってくるようであった.

そういえば今月の始まりは,アジアからのお客さん来社から始まったのだった.
領土問題で胸熱な気持ちの高ぶりが,あちらの人とお会いした時,忘れてしまうのは,
車の運転席の窓を空けて笑顔とハンドジェスチャーをした時に進路を譲ってくれる
状況と似たようなものだろうと なんの脈絡もなく解釈している自分に気づいた.
日本の経団連会長が中国よりの発言を北京から発信しちゃったりするのも,
ニッコリ笑って微笑みながら強引に割り込んでくるゴジラみたいなおばさんに
思わず道を譲ってしまったようなものだったんだろうと信じたい.

タバコをやめて ほぼ4年半.
この頃吸いたくなる機会が増えてきた.
けど,他の人の吸っているタバコの匂いを嗅いだら,臭くてたまらなかった.
以前なら厳しい現実に直面しているような時,セブンスターを息継ぎのように吸っていた.
それを今も続けていたら,きっと体を壊していただろうと思ったりもして,
タバコをやめた自分は勝ち組だと心の中でガッツポーズして気を紛らわせたりする.


今週一気に涼しくなったせいか庭のドウダンツツジが一気に紅葉し始めた.

ひんやりとした空気に,もうすぐ冬の到来を予感させられる.
秋の朝の冷たい空気が,世の中との漠然とした一体感を断ち切るように
鋭く鋭利な刃物のように感じられた.

そうだ冬は確実に来る.

この頃の日本は,「絆」とか漠然とした美辞によって,なんとかなる温かさが
あるかのような錯覚を覚えてしまいそうになる.
でもそれは幻想に近い.
自分の守りたいものを差し置いてまで他人を助けることは人には困難なことだ.

季節も冬となり,そして景気も さらにお寒い真冬に突入していくように見える
寒さが耐えられなくなった頃に,もがいてもどうしようもない.
凍える冬の到来とともに,どうしようもなくなった現実がつきつけられる.
そうならないように,できればキリギリスではなくアリでありたいものだと望んでみても
小企業の行く末は半ばギャンブルのようなもので全く予測がつかないのも事実.

空気が冷たくなってきて赤くなった葉っぱを見ると,
そんなわけで,なんだか気持ちはしんみりとして
家族と共に過ごす時間がものすごく貴重に感じられるようになってくるのであります.
今日は仕事休み.子どもとカミさんとどこへ行こうかなあ