2013年7月12日金曜日

スマホ買い換えなど

 心の中にあるものを文章に書き出す作業をさぼっていたら、しばらくぶりに書いてみようという気持ちになってキーボードに向かってみても、なんて書いたらいいものか考えるばかりの時間だけが過ぎていくばかり。
書くこと忘れてきちゃったみたい。
 以前は仕事でメモを取るときもPCに入力してたのだけど、万年筆を使うようになってからというもの手帳に手書きすることが楽しくなって早2年くらいになる。
手書きの手帳のいいところは、レイアウトが自由なこと、思いついたことを気軽にかけること。そして書き味のよい万年筆を使って記すことができることだと思っている。一字一句の文字を記していくときの感触が自分にとって心地良い。反面、後からメモを探すのに時間がかかってしまうのが難点だ。書いたメモをもう少し有効に使えればいいのだけど。きっとスマホのカメラで撮影したりなどよいツールはあるのかもしれないが、ものぐさな人間としては書いた後の処理に要する手間が惜しいから結局はなにもしないままだ。
 なにも書き残さずただ漫然と生きていると、近い過去を振り返ってみたとき自分でなにをしていたのか簡単には思い出せなくて、途中途中では結構苦労して一生懸命にやってたのに、あれは何だったんだろうと幾ばくかのむなしさなどを感じたりすることが自分にはある。数ある苦しかったプロジェクトも後から振り返るとはじけて飛んだ長渕剛のシャボン玉の歌ようだ。これからいくつものシャボン玉をあげ続けていくのだろう。が、そのシャボン玉を否定することは無意味なことだと思っている。私自身もこの肉体が滅んでしまえば、過ぎゆく風のごとくに何も残らないのだから、私もシャボン玉みたいなもので、ぱっと割れてしまえばそこにあった物理的な証拠は、なにも残らないに等しい。
 だからその慰みの1つとして昔から日記を付けた方がいいと人生の先輩方が私たちに教えてくれていたのだろうというのが私なりの解釈なんだけど、つまらないことに時間を割いて、日記は続いた試しがない。一時期は半年間手書きで書いてたこともあったが、カミサンが起きている時間には書いているのが見つかったら恥ずかしいとか、ビールのいっぱいでも飲みたくなってそのまま寝たとか、仕事が遅くまで続いたのでさっさと寝てしまったなどというつまらない理由で、いつの間にか忘れてしまうのだ。
 まあ、どうでも良い独り言を書いていたら以外に文字数が増えてきて、書き込むペースも少しづつあがってきたようだ。このごろはなにをしてたのか。仕事も開発という性格上かけないことばかりで、あれもこれも書いちゃダメと頭の中で書くネタを思い浮かべては否定する繰り返しをしていると、次第にはどうでもよくなってなにも書けなくなったりするので、あまり問題ないネタを最初に思い浮かべなければならない。
 そういえば携帯電話を3年ぶりに買い換えた。3年間使ったSO-01Bは、とうとう使うに耐えられなくなった。次に携帯を買い換えるときはドコモを辞めようかと思ったけど、ツートップとかいうドコモのキャンペーンでやすくなるというのでドコモを継続することにした。ドコモの店員さんはサムソンが性能面で優れていると説明したりなどしてなんとなくサムソンを進めている様子だったが、あり得ない選択肢であり、迷わずXperiaを選択。そもそもドコモは何で2機種だけ優遇して提供するのだろう?選ばれなかった会社との関係悪化のデメリットと2社だけ優遇するメリットと比較して後者が大きいと判断したんだろうが、一消費者としてドコモに不信感を感じている。これまでドコモに携帯電話を提供してきたメーカーはなおさらだろう。今回はドコモ継続したが、次はやめようかと真面目に思っている。
 ドコモのツートップキャンペーンには不満はあるのだけど、このSO-04Bを格安で入手できたことには満足している。デザイン、性能、使いやすさなど、なかなかいいのではないでしょうか。この文章もSO-04BにリュードのBTキーボードを接続して入力しているけど、パソコンとほとんど変わらない快適さで文章が入力できている。3年前SO-01Bで同じことをやろうとしたけどまったく使い物にならなかったのとは雲泥の違い。携帯を換えてから自宅でパソコンを開く回数がめっきり減ってしまった。PCの販売台数が最近減っているのも大きくうなずける。後は自宅の印刷環境がスマホとリンクできて、年賀状やちょっとした町内会の文章もスマホで書いて、自宅のプリンタで印刷できたら自宅にパソコンはいらない。最近のプリンタはスマホと簡単につなげるんだろうか。10年前には流行らなかったが感熱紙のロール紙に印刷するプリンタは、今なら活用できるチャンスが大いにあるんじゃなかろうか。BT接続でもIR接続でも過去に開発したモバイルプリンタをスマホ接続できるようにアプリを開発して再販したら開発コストも押さえつつ、需要のある分野に製品を投入できるのではと責任のない立場では思うのだけど、そうは世の中 甘くはないのかなあ。
 

2013年5月30日木曜日

GHMM for windows x64

I have succeeded in compiling the GHMM (The General Hidden Markov Model library) for windows(x64). I'm grad if it becomes your help.

ghmmwrapper-0.8.win-amd64-py2.7.msi

compiled with...
VC8 express
swig 2.0.1
Windows SDK 7.0
Python 2.7.2

2013年2月12日火曜日

2月の焦り

 2013年もあっという間に1か月が過ぎ去ってしまった。2月も既に2週間が終わろうとしているが、計画していたことは思うように進まず、焦りは募る一方であるけれども、心に思い描くようには進まないのが現実ではある。

 やるべき事柄をリストにして手帳に書いてみたが、2時間半でつぶせたのは6項目のうちもっとも簡単な2項目のみであった。現実は厳しい。
 忙しいときに限ってあれこれとやってみたいことが思い浮かんで時間を食いつぶしてしまうのもよくあること。しかし時々その回り道が役にたったりするからその回り道も無駄ではない。

 今この文章を書いているのも回り道。そろそろ課題に向き合うことにする。

2013年1月14日月曜日

場所とめぐり合わせ

いつの間にか新年も明けてしまったというのが今年の正月の感想.

正月休みは,ほとんど家で過ごした.
何をしていたのか思い出すきっかけとなる出来事を
思い起こすことが難しいほどに,
家でゆっくりとした時間を過ごしていた.

仕事に忙殺されている時,
時間があればあれやこれやとやりたいことが
たくさん思い浮かぶのに,
いざ自由な時間には何も手に付かないものだ

以前は休日となるとあちこちへ出かけたものだったが,
この頃は,疲労が蓄積する為か,出かけるのも億劫で,
家でゆっくりしていることが幸せに感じるのである.

去年の年末に,たまには日本酒を一升瓶で買って,
ちびちび飲んでみようと
年末に近所のスーパーで買った安酒が昨晩空になった.

仕事が忙しければ忙しいほど,
自分の心が空っぽであることに時々気づいて
なにかで満たそうとしているようだ.

忙しいという文字のごとく,この頃は心のなかの感情が
薄れているんじゃないかと思う.

大人は子供の頃の心を失うとか,
とりもどすとか,そういうフレーズにであうとき,
自分には関係ないやと思っていたが,
いよいよ私もつまらない大人になったのかもしれない.

自分の中に子供のような不合理な思考はないものか,
考えてみると そういえば,私は雪が好きであった.

岩手に来てから冬の雪が少なくて物足りなさを感じている.
アイスバーンの運転は嫌いだけど,雪が降ると楽しくなる気がして,
雪が降ると,もっともっと降って欲しいといつも願ってしまう.
雪好きは子供の頃と変わっていないようだ.

私は北海道の上富良野町という所に生まれて,
しばらくそこに住んでいたそうなのだけど,
2歳ころから岩手に来て滝沢村,盛岡のあたりに暮らしていた.
あの頃は,高松の池も凍っていてスケートで滑ったこともあった.

一番小さな頃の記憶は,今の岩手県立大学のそばの
平屋に住んでいたときのもの.
あの頃,住んでいた一帯は草原と林と農家しかなかった.

私は2歳か3歳だったのだろうか?
庭の紫陽花に雨が当たるのを眺めていた記憶,
秋の林を散歩した記憶.
庭一面が雪で白くなった景色.
あの頃通っていた滝沢村の川前保育園は,今もあの頃のままある.

それから小学4年の春から私は岩手を離れ北海道の旭川に暮らした.
北海道の北の大地の美しい自然のすばらしさは,
住んでいた頃はよくわからなかったが,離れてた今実感される.

大人になった今の私は,両親を旭川に残したまま岩手に住まい,
通勤で幼少の頃通った川前保育園の前を通り,
当時住んでいた家のすぐそばで仕事をしていることを思えば
人の運命などというものはまったく予想できないものなのだと
思い知らされるような気になる.

空っぽの心で何か書こうとしたらなかなか難しいものだが
書いているうちに何か満たされたような気持ちになったから不思議なものだ.

また朝が来た.今日の休みはどう過ごそうか?