2010年5月27日木曜日

親の姿

子供を幼稚園に通わせるようになって1年半
朝 幼稚園バスの待ち合わせ場所に行く時,
あるいは 幼稚園に迎えに行く時,
同じ園に通う子どもたちの親の姿を見る.

いつも笑顔を振りまいている親もいれば
いつもイライラしている親もいる
挨拶を交わすとき,清々しい気分になる親もいれば
うつむいたまま会釈をする親もいる

いろんな親がいて,その人となりを垣間見るとき
その家庭はどんな様子なんだろうとか
心の中で半ばオートマチックに想像される.

いろんな様子の親子とすれ違うとき,
不安な気持ちが
心をよぎるときもある

でも,その親と一緒にいる小さな子どもたちが
なんとなくいい顔をしているならば
ホッと救われた気持ちになる
そんな瞬間がある

一方で,,
他の親子を見ながら,
心の内面において 
自分はどんな親であって,
我が子たちは どんな風に育っているのか
考えるのである

すれちがう他の親子を見ながら
それが鏡のようになって
そこに投影される
自分たち親子の姿を見ている

そんな時もある

2010年5月26日水曜日

車載カメラ画像をアップロード

昨夜,会社から帰るとき AGFA DC-1033sをフロントガラス直下に固定して運転シーンを10分ほど撮影してみました.
会社のある滝沢村巣子から盛岡市青山の旧シティー青山付近までとなっています.
雨は降っていませんでしたが風が強い夜でした.
なんとなくドライブした気分になります.

2010年5月25日火曜日

いわてこどもの森おもちゃ湯改装

先週の土曜日いわて子どもの森へ行ってきました.
何度も行っているけど 子どもたちにとって飽きない場所らしい.

春に部分改装したらしく,銭湯をモチーフにした遊び場「おもちゃ湯」が一段とリアルな銭湯に改装されていた.


壁には富士山みたいな山が描かれているのだけど,しばらく居座っていたら突然噴火!

最近プロジェクターをつかったアートが流行っていると聞いていたけど ここで見るとは予想しませんでした.

いわて銀河鉄道の運転台

車掌室の真後ろに立つことができたので普段見ることのできない装置を撮影してみた.
まずこれは車掌室の天井付近にあるスイッチ群.
「キハ112-114」っていう機種名みたいなのが見える.


続いて運転台.レバーを運転手さんが操作しているのが見えます.


この日は研修?か何かでワンマン列車に3人の車掌さん達が同乗していました.

初Youtube投稿 いわて銀河鉄道 盛岡駅着

今更ですが初めてYoutubeに動画を投稿しました.
先日の出張の際に乗ったいわて銀河鉄道の盛岡駅に到着する直前の動画です.
手持ちのトイデジで撮影しました.
逆光で車掌室内が暗いのがチョット残念です.

2010年5月24日月曜日

滝沢村巣子の由来

先日久しぶりにいわて銀河鉄道沿線の駅である「巣子駅」を利用した.
私の務める会社から最も近い駅が「巣子駅」なのである.
もちろん会社の住所も「岩手県岩手郡滝沢村滝沢字巣子」である.
この巣子駅の敷地内に巣子という地名の由来を説明する立て看板が設置されていた.

書いてある言葉をキータイプ練習をかねて以下に活字に起こしてみた.

「巣子(すご)」
江戸時代,南部藩主は岩手山麓の滝沢村に鷹狩にしばしばやってきている.
鷹狩をするには飼い慣らした鷹が必要であった.
藩では毎年,鷹の雌雛を捕るためにこの地にやってきた.
巣の子を捕る郷から「巣郷」と呼ばれた.
その後「巣子」になっている.

「狼久保(おいのくぼ)」
江戸自体,狼が常に生息して巣を作った穴がたくさんあったことから「狼久保」と呼ばれた.
昔,滝沢の野には,鹿のほか猪・狼など住んでおり人々は狼被害に悩まされていた.

「葉の木沢山(はのきさわやま)」
榛(はん)の木が密集していたことから「榛の木沢」とか「葉ノ木沢」と呼ばれた.

「明神平(みょうじんだいら)」
川沿いに,農神・明神さんを祀っている神があったことから「明神平」と呼ばれた.
「稲荷」は「明神」とも呼ばれていた.「稲魂尊(うけのみたまのみこ)を祀り川沿いや清水が湧き出るところに祀られていた.

「妻の神(さいのかみ)」
女の人がなくなって,その例を慰める神を祀ったことから,また鉄道工事で亡くなった人を弔うために祀った神から「妻の神」と呼ばれた.

「松屋敷(まつやしき)」
康平5年(1062年)前九年合戦で厨川柵に阿部一族がいたとき,婦女子を住まわせた屋敷がこの地にあって,婦女子が貞任が帰ってくるのを待っていた屋敷が「侍屋敷」と呼ばれ,後に「松屋敷」と呼ばれた.
そのころ「松屋敷」と「安倍館」の間を船で往来したといわれている.
アイヌ語ではマツは女性のことである.現在はこの地域の大半は水没している.

2010-05-22



玉山芋田のA社盛岡工場跡地のグラウンドに新たな建家を建設中の様子.
鉄骨を組んでいた.