2010年3月30日火曜日

なすべきこと

12年前に私は就職した.
今気付いたが就職した年も寅だったのだ.
そうだ私の生まれ年も寅だ.

ところで,最近の寅年について調べてみると景気が悪かったらしいことがわかる.

1974年はオイルショック
1986年は円高不景気
1998年はアジア通貨危機

私が社会人となった98年は就職氷河期といわれ始めた頃だろうと思う.
成績が悪くて留年した私は別として就職ができなくて留年を決めた友人がいた.
いつしか団塊ジュニアはロストジェネレーションとかマスコミが名前をつけられた.


1年半前頃から,年配の方に会うときにはリーマンショックによる景気悪化について過去との比較について尋ねることにしているのだけど,最初のころは「オイルショック」の方がまだ凄かったとおっしゃる方が多かったが,半年前からはこんなに悪い景気は経験がないと聞く機会が多くなった.50歳代の方もおっしゃるのだから戦後の日本が経験したことのない不景気なのだろう.(最大の不景気は敗戦直後であったことは言うまでもない)

2010年の4月を目前にした今,世界的にみるとそろそろ回復基調らしいが,景気が回復した状態となったからといっても,かつての日本の好景気といわれる状況に戻ることを意味するとも思えない.
例えば日本の産業の要と言われる製造業であるが,日本で単一製品を大量に作って売る時代が再びやってくるだろうか?日本で作るより安い国がある限り,再び日本で量産することは特殊なケースを除いてありえないだろう.

作るものの仕様がグローバル化していることも過去とは大きく違うことだ.昔は各社各様に独自の仕様でメカを作り基板を作りソフトを作った.だから性能に多くの差が生まれ独自性を出すことができた.日本の大手製造メーカが競い合って同じカテゴリーの製品がそれぞれ売れていたのも独自性を出しやすかったからだと私は思う.

今はどうだろう?仕様は世界標準となって,独自性を生み出すのは上っ面のデザインだけ.パソコンが代表例だと思う.どこの会社製品を選んだって結局性能をきめるのはIntelかAMDでありメモリ容量である.性能を表す数字と記号と価格だけが購入の決め手となる.Made in japanにもはや意味はない.

またパソコンや携帯電話が汎用性をもっているので従来個別の機能を持つ製品を購入する必要があったニーズを駆逐してしまった.

2年前SONYとAppleの財務指標を比較したWeb記事がある.
http://diamond.jp/series/it_biz_dw/10004/
今この差はさらに開きつつあるのではないか

仕様がグローバル化した今,製造業に携わる者たちが生き残るためには何をすればいいのだろう?
大中小問わず日本の国中の製造業種に属する企業内で管理職の人々は毎日唸って考えているに違いない.

私は製造小企業に所属するのだが,よく解説者的な人間が「中小企業はニッチなものをやるべきだ」という.
けれど,ニッチなものは需要がついてこないので現実には稼ぎにならない.
生き残るためには多数の賛同者が得られるだれしもが欲するものを提供しなければならない.
ニッチではなくて潜在的な需要を発掘することが必要なのだ.
今はないが それを提案したらほしくてたまらないもの.

そう考えれば 何をなすべきか頭がすっきりしてくる気がする.

2010年3月26日金曜日

禁煙2年

私はタバコをやめて今年の3月で2年目となった.
18歳になって大学生となった4月ころからタバコをすいはじめた.
当時 自啓寮という男子寮に住んでいた私は北寮11室に暮らした.
大学生になると新歓コンパという飲み会がひんぱんにあり、
そのうちに酔った勢いでタバコをすいはじめたのだとおもう.
タバコを初めた頃、吸い込む度に目が回るようなかんじと酔ったような陶酔感があったのを覚えている.
しかしその感覚も長続きせず、いつしかヤニ切れの度に火をつけることを繰り返す毎日となった.

私が吸っていたのはセブンスター.
就職後はメカを動かすプログラムを作る仕事をしていたのだが、仕様どおりに動かないときなど、すぐに喫煙室に行ってはタバコをふかした.
前の会社を辞めて、今の会社を起業した当時、全社員が(といっても2人だが)喫煙者だったのでパソコン見ながらタバコを吸っていた.
ソフト開発とタバコは相性が良くて本数が進むように思う.
客先に電話をかける前など、一本吸ってからとか、コンパイル中の時間に一本とか、原因不明のバグがなかなか解決しない時は徹夜のお供にコーヒーとタバコを交互に嗜んだ.
今考えるとぞっとするが、飲み会の日などは、2箱以上吸っていた.
二日酔いとタバコのすいすぎによる気持ち悪さのダブルパンチは喫煙者ならだれもが経験済みのはず.

2年前、大事な人があいついで2人亡くなった.
2人は、いつもタバコをよく吸っていた.
1人は私の伯父.咽頭ガンだった.
成人してからは、あまり接点がなかったが 幼少の頃 よく遊んでもらった記憶がある.
もう1人は、幼い頃からよく知る父の友人.肺がんだった.
日常に接点のない2人の死であったのだけれど、私は相当なショックを受けた.
幼い記憶にいる人が亡くなることを期に、何度も心の中で思い出がオートマチックに反芻された.

私は2人に禁煙を助けてもらったのだと信じている.
幾度も失敗した禁煙だったのに、2年前からピタリとやめることができた.
禁煙ガムを1週間分買ったのだけど3日くらいで不要になった.
そしてまもなく体は軽くなって、イガイガもとれた.
仕事でお客さんと酒をともにすることも多く、多くは喫煙者だったので禁煙したことを言うのに恥ずかしさとためらいがあったのだけど思い切って「やめました」宣言をした.
皆さん「えっ!ヘビースモーカーのあなたが」と驚いていたが嫌味も言わず見守ってくれた.
いい人たちに囲まれていたのだと思う.
そのうち妻がいつもクレームをつけていたタバコ臭さというものが分かるようになった.

毎日の習慣がなくなるというのは不思議なことだ.
18歳から15年にわたて吸いつづけたタバコの臭いがくさくてたまらない.
タバコを辞めたかわりに体重が増えた.
辞める前の体重は、58キロだった.身長は168センチほどなので軽い部類だと思う.
現在は63キロ.
タバコを吸っていたときは昼飯を抜いても平気だったが、今では不可能だ.
腹が減っては戦はできないというのは本当だと思うようになった.
タバコが体に悪いのはニコチンだけじゃなくてタバコを吸うことによって食欲が減退することとかも関係があるのだと私はつくづく思う.

2010年3月25日木曜日


送信者 岩手山

子供のころを振り返ると,よく大人は,山を眺めていたように思う.

「あれが 岩手山だ」とか

「今日も十勝岳はよく見えるとか」

「旭岳が白くなった」とか

大人は山をみて そういった

でも 子供の私は,山を見たって面白くもなんともなかった

それは山がいつも同じに見えたから.

ちょっと白くなったって,

紅葉に赤くなったって,興味はあまりわかなかった.


そして いつしか自分が大人になった

山を見ると思いだす

勤務先の工場の窓から見た岩手山

学校の屋上から見た岩手山

友人と上った岩手山

夕日に赤く染まる岩手山

いつも山は,そこにあった

山をみると不思議と過去を思い出す.

だれから「山のないところには暮らしたくない」と言っていたけど

その通りだと つくづく思う.

2010年3月24日水曜日

Pythonで非線形最適化計算する

私自身がPythonを便利に思って重点的に利用させてもらっている技術分野は,科学技術計算とUSBやシリアルなどとの通信に関するもの.

特にお世話になっている最適化計算についてちょっとご紹介.

最適化で使っているパッケージは, scipy.
他に Numericが必要.

excel等で近似多項式を求める事が出来るけど,奇数次数のみの多項式に
フィットさせるなどは不可能.

そういうときにPythonの scipyは便利.
次のスクリプトは9次項までの奇数次数のみの多項式へのフィッティングを行うもの.
私は魚眼カメラの射影式を扱うとき重宝している.

import scipy
import scipy.optimize
import Numeric as n

def func(p, x):
k1,k2,k3,k4,k5 = p
p0=[k5,0.,k4,0.,k3,0.,k2,0.,k1,0.]
return scipy.polyval(p0, x)

def residue(p,y,x,sigma):
#print "residual_func ", y, x
err = y - func(p, x)
#print "error ", err
return err

def fitting(x, y):
sigma = 0
r = scipy.optimize.leastsq(
residue,
[1.0,0,0,0,0],args=(y, x, sigma), full_output=1, ftol=1e-32, xtol=1e-32, maxfev=10000)
return r[0].tolist()

if __name__== '__main__':
sample = n.array([
0.16581,0.128181366,
0.33161,0.258930716,
0.49742,0.393306338,
0.66323,0.530482793,
0.82903,0.666571512,
0.99484,0.793397256,
1.16064,0.899001855,
1.32645,0.970166103,
1.49226,0.99910374,
1.65806,0.991575672])

xy = n.reshape(sample, (10,2))
x = xy[:,0]
y = xy[:,1]
optimized_parameter = fitting(x, y)

print optimized_parameter

scipy.optimize.leastsqは minpackを移植したもののようである.
Levenberg-Marquardt法を用いた最適化をお手軽に行うにはもってこいだと思う.

2010年3月23日火曜日

妄想と夢

今日も意味もなく深夜まで起きている.
やるべきことはあるが手につかない.

やるべき事柄に取り掛かるには,今日も気持ちがついていかない.

けれど,やらなきゃという焦燥感がある.
それが,床に就くという意思を妨げている.

しかし結局,寝る時間を惜しんでやっていることはブログの更新.
ちょっと悲しい.


この時間に至る数時間もブラウザを見つめる空虚な時間.

未読のRSSを開いて過ごしたあほらしい時の流れに虚無感を禁じえない.

しかし,素晴らしい記事があるのではないかという期待感が
絶えず未読のRSSを開き続けさせる欲望の源泉となっている.


自分がブログの書き手となって読み手の期待にこたえるような記事を
書くことができれば,それによって得られる自己満足によって
読み手となる時間が減ることもあるかもしれない.

だが,長い文章を書くことが得意とも言い難く,
このようにブログを書く時間は 読む時間よりは苦痛といってよい.

書く時間が苦しいのになぜ書くかと言えば,書いた後の達成感と
読み手がいるに違いないという希望と読み手が喜んでくれる
かもしれないという期待感があるからだと思う.

したがって,今私が起きてこの文章を書いているこの行動の源泉は,
私の妄想にあるといっていい.

このブログのテーマをまだ決めていない.
だから 毎回書くことに毎回困っている.

タイトルは,「AXIS OF FISH-EYE」であるが,
実はこれにはあまり深い意味はない.

「妄想」 ちょっといいキーワードを見つけた気がする.


今日,子供たちにみつばちマーヤの絵本を読み聞かせた.

マーヤは,スズメバチにつかまってスズメバチによる
ミツバチの巣の襲撃計画を知り,牢から間一髪逃れ,
仲間に危機を知らせた.

子供たちは蜂になった夢を見ているだろうか?
夢の中でマーヤと一緒にスズメバチと戦っているだろうか?

そういえば私は,この頃夢を見ていない.
起きているときの焦燥感や先行きへの不安ばかり.

これは,妄想だと今思う.

そろそろ寝る.

2010年3月19日金曜日

イルカと食事

日本人によるイルカの屠殺を批評するコーブという映画がアメリカのアカデミー賞をとったことが話題になっている.

もともとアカデミー賞自体、クローズドな評価体制の中で勝手に賞をあげているものだから何を選ぼうと興味もないところだが、コーブの監督のインタビュー記事が気なった.

イルカ映画「ザ・コーヴ」監督の最大の矛盾とは何か

監督の主張は、「高い知能を持っているイルカを食べることは問題だ」ということらしい.

イルカが高い知能を持っているかどうか私は知らない.

そもそも私はイルカを食べたこともない.

もし、居酒屋でイルカ料理が出たら興味本位で食べることはあるかもしれないが積極的食べようとは思わない立場の日本人だ.

しかし、コーブの監督の主張は、なんとなく気に入らない.

仮にイルカの知能が高いとしてそれを食することに如何なる問題があるのだろう.

先程のリンク先で解説者が論ずるように、知能が高いからといって食べることに関する道徳上の問題を導出可能とは私も思わない.

そもそも食べる対象の知能に関して我々がどれだけ認知しているのかさえ疑問だ.

彼らが屠殺を容認する牛や豚も最近の研究により予想以上に知能が高いことがわかってきたという話もある.

以前 私が英国人と2・3年仕事をしていたときのことだ.

居酒屋で馬刺しを注文した私を、彼女は睨みつけてこう言った.「なぜ 他に食べ物があるのに わざわざ馬を食べるのだ?」

それに対する私の答えは単純だった「うまいからだ」

コーブの監督の主張は、これに通ずるものがあるように感ずる.

他に食べ物があるのに、わざわざ人に懐く愛らしいイルカを食べることに抵抗感を持っているのだろうと思う.

その抵抗感を単純に訴えるならば、分からないでもないが、知能指数うんたらを出して偉そうに話すからワケが分からないのだ.

犬や猫を食べる国の話を聞いたことがあるが、この風習に私は嫌悪感を感じる.コーブの監督は犬も食べないだろうから犬猫に関してその点は監督に同意できるのだ.

我々になつく動物を殺すのは心の痛みが伴う.こんな話を聞いたことがある.

よくお祭りなどで 着色したヒヨコを売っているが、これを買った小学生の友人は、マメに世話をし いつかヒヨコは立派なニワトリとなった.

ある日学校が終わり家族と夕食を囲んだとき、その日の晩飯は鍋だった.友人は母親に「この鶏肉すごくおいしいね?」と言ったら、「ああ お前のピーちゃんだよ」といわれて無言で泣きながら完食したそうだ.

育てて自分になついたニワトリのピーちゃんの肉を食べさせてもらって、その引換に私は生きていると考えるならその生命を無駄にはできない.この論理に間違いはないと私も思う.

コーブの監督は屠殺場で殺される牛を見て肉を食べられなくなったそうだが、それは我々の命が他者の痛みと引き換えにある現実を受け入れることができていないことを意味しているのではないか?

知能指数があろうがなかろうが、神経があって痛みを認知しようがしまいが、食べる対象の命をいただいている.我々にできる最大の道徳は、残さず食べることではないか?

コーブの監督は、イルカの命を大切におもうなら、屠殺後に肉となったイルカが食卓に上がって食べられて行く過程に着目するべきだろう.

知能が高いというイルカが痛みを伴って差し出したイルカ肉が残さず食べられたかが、道徳上の最大の問題となると私は思うのである.

2010年3月18日木曜日

X6HR-python公開

数年前に買ったSUUNTO X6HRT用のpythonモジュールをgithubに公開しました.

X6HR-python

このブログにもSUUNTOのページつけました.そこからもたどれます.

そもそも SUUNTOの時計が世の中にあまり普及していないような気がするので
公開しても社会貢献度ゼロのような気も...

↓スント社の製品ページ
http://www.suunto.com/en/Products/Outdoor_Sports_Instruments/Suunto-X6HR1/Suunto-X6HR/

↓詳しいユーザ解説サイト
http://yamatabi.que.ne.jp/bike/hr/index.html

X6HRは,映画「エイリアンvsプレデター」のヒロインが南極でつけていた心拍数とかコンパスが内蔵の腕時計であります.