2012年6月30日土曜日

裏山の森

土曜日の朝、子供たちを連れて自宅近くの公園へ来てみた。
虫を探しに森の中を散策している。
今の時期、虫たちはまだ大きくはないが、草の上を歩けば小指の爪ほどのバッタたちが威勢良くはぜていく。
小鳥たちのさえずりは絶えることがない、
ドラえもんの世界でのび太達が放課後に冒険していた学校の裏山は、きっとこんな所だったに違いないとおもいのがら、ぶらりと森を歩いているだけで楽しくなれる





2012年6月26日火曜日

わんこそば

6/25月曜日の朝は,爽快な晴だった.
宮城方面からの来客があったのだけど,会社のある巣子まで行く
銀河鉄道への乗り継ぎが悪い時間帯に来ることになったので,
出勤途中に盛岡駅まで車で迎えに行く事にした.

盛岡駅前に20分間無料の駐車場があるのだけど,この時間が微妙で
駐車を終えて改札まで迎えに行き,待ち合わせてパーキングを出るには
いつもギリギリになってしまう.

20分を1分でも過ぎてしまうと200円払わねばならない.
朝の通勤時間に盛岡駅へ向かうため,渋滞を考慮して
少し早い時間に家を出るのだけど,
大抵は早い時間に到着するので,
駐車場手前の道幅の広い場所に路駐して時間調整することになる.

この日は,なんとか無料時間内で間に合った.
できれば無料時間が30分あると多少早い時間に到着しても,
安心して駐車場に直行できるのだが,これも利用者の理屈.


普段はカミさんに持たせられる弁当を食べているのだけど,

来客があったときは,一緒に外食することにしている.

岩手県外からいらしゃるお客さんが決まって言うのは,
驚くほど安いのにビックリするほど美味しいということ.
そう言われると,お連れする自分も嬉しい気分になる.
きっと岩手にまた来たいと思ってもらえる動機の1つになるに違いない.

わんこそばは,他の地域から出張してきてくれたビジネスマンを
迎えるのに活用させてもらっている.
来訪してくれた会社のメンバーと杯の数を競い,
ノンアルコールでいつの間にかうちとけあえる.
そういうイベント性のある食の風習は,なかなかないんじゃなかろうか.


そういえば先日,お話した岩手の大会社のトップも,わんこそばの杯数に,
見積金額の上乗せ交渉を掛けた豪快な話をしていたのを思い出す.


交通費をかけてまでして,私達のいる岩手の地まで来て
仕事の依頼をして頂かねばならない事を思えば,
この地で仕事を続けることの困難さに頭を抱えそうになるのだけど,


人には食べる喜びが備えられていることを思い起こすと,
私たちは,最上級の「岩手の食」から強力な援護射撃を
頂いていることに気づかされた.
そう考えたら,食事を前に私の心はホッコリとした暖かい気持ちでいっぱいになり
人と人のつながりのありがたさに感謝せずにはいられなくなった.

2012年6月25日月曜日

散歩

月が丘小学校横の「こもろくずがわ」沿いを子供らと散策していたら
スズメたちが小川の浅瀬で水浴びをしているのを見かけた.

ぷっくりと羽を膨らませた小鳥たちを眺めているだけで,
なんだか幸せな気分になれる.

視線を感じて見上げるとムクドリのつがいがしっぽを震わせながら
小枝の上をスキップしていた.

スマホに届くメールを読んで騒ぐをどう沈めたらいいのか
わからぬまま無理にやり過ごした朝の時間が思い出されたが,
送り主の理屈を是とする余裕が散歩する午後の自分にはあった.

3.5kmばかり歩いたのだけど,一緒に歩いた息子は疲れた様子もなく
小学校に通い始めるようになって,短時間に随分タフになったものだと
感心させられた今日の散歩であった.

2012年6月22日金曜日

しゃぼん玉

久しぶりに青空の朝を迎えた気がしている.
外の風にあたらずとも窓から覗く先に見える
陽に当たる新緑を眺めているだけで心地良い.

昨日は,初めてIntel TBBを使ってみた.
作っていた画像処理の最適化計算は,1回あたり
300msだったのだけど,TBBを使ったら120ms程度になった.


parallel_reduce しか使ってないが,使ってすぐに
2倍程度のパフォーマンスがでるのだから大したものだ.


今日は,朝から一日中,資料作りのためワードや
パワポと向き合うつもり.

人に合うと鬱屈した話ばかりになることが多いこのご時世だけど,
外に広がる新緑の鮮やかさ,やわらかな風にあたると,
忘れていた恵みを感謝する気持ちが湧き上がってくる.

長渕剛のシャボン玉の歌.

「いったい俺達はのっぺりとした都会の空に,
 いくつのシャボン玉を打ち上げるのだろう」

人の思いとは無関係にめぐる季節と自然に対峙すれば,
何やったって 人の成すものとは シャボン玉みたいに
儚いことなのだと思い知らされて,
そして,あきらめがつくのかもしれない

久しぶりに山に登ってみたくなってきた.

2012年6月21日木曜日

dlib

他に真似できない画像処理をやってやろうと,また無理なスケジュールでソフトを書く日々が
あいも変わらず続いていて,仕込んだアルゴリズムの随所に散らばる非線形の最適化問題が
うまく収束するように,小細工するのが肝だったりするのも変わらない.

この2週間ほどは,Pythonで書いていた認識アルゴの雛形をC++に書きなおしているのだけど
Pythonでは動いていたのにC++の移植の過程でバグが紛れ込んでしまったらしく,
同じ画像条件なのに同じ結果にならなくてイライラが募るばかりだ.

そしてC++にしたからといって,私のコードはあんまり早くならず,これでは労は全く報われない
ではないかと,モチベーションは落ちていく一方.

Pythonでは最適化計算をscipy.optimizeにやらせて楽してるのだけど,C++に移植するとき
pythonで楽している分,決まって毎回苦労することになっている.

楽できないかなあとググって見つけたのがdlibというテンプレートライブラリ.
早速使っているけど,まだ良いのか悪いのかわからない.
作者は,levmar書いてたギリシャの大学の教授.
ヤコビ行列を数値微分で近似してくれるモードも内蔵していてお手軽に試せた.


6月になったばかりだと思っていたが,早いものだ.

気がついたら消費税も10%になり15%なり20%になっていくのだろうか?
見積書を書くたび消費税額の行方が気になってしかたがない.

嫌でも払わされる税金は,公共の利益のために使われるという.
本当にそうなのか?疑念が拡大する材料には事欠かない.

日本が良い国だと思っていたことが幻想だったと感じた時から,
安定した生活の維持を願う気持ちと大きな変化を期待がたびたち交錯する.

2012年6月20日水曜日

裸の王様

書店に行けば「猫にでもわかる~」とか
「サルにでもわかる~」シリーズみたいに
アホな自分でもわかるんじゃないかと
期待させられる本が並んでいるのだけれど,
手とってみても,金を払って買おうと思わせられるような本は
そうそうないのではないだろうか


わかりやすいことには総じて魅力がないように感じてしまう.
わかった瞬間にその興味は,
吹き消したろうそくの火のように消えてしまう.


一方で意味不明の言葉の羅列に見える詩,
宇宙物理の解説本とか研究論文とか,
総じてわかりにくいものやわからないものほど惹きつけられる.

意味をあれこれ考えさせられる事に自分は価値を感じるとか,
あるいは,難解なものを理解できた側に
自分はいるのだという自己満足だとか
多様に解釈可能な意味の広がりの中に
自分のみが真理を得たと思い込むことだとか
わかりにくいものの魅力は様々あるのかもしれない


美術館に飾られた意味不明の落書きのように見える抽象絵など,その極みではなかろうか.

自分には価値がわからないが立派な美術館に
飾られているのだから,きっと素晴らしい絵なのだろうと
想像するしかないような絵が飾られていることがある.


それをジーっと眺めてみても自分には何も沸き起こらないのだとしたら?
それは自分にとって価値の無いものだと言える.
価値が無いとわかるまで,その絵に向きあう必要はある.


だから,わからない絵の魅力というのは,やっぱりわからないこと
そのものに魅力があってわかった瞬間に
その価値は失われるのではないかと私は思っている.
絵の分からない私なりの絵の楽しみ方といえる(笑)

専門家が良いと言うのを聞いて盲目的に良い絵なのだと信じることにするのは嫌だ.
できれば裸の王様を見る群衆であるよりも,「王様は裸だ」と言った子供でありたい.


気をつけないと,今の日本には,見えない服で着膨れした裸の王様が闊歩しているのではないか.
価値の判断を人任せにしてはいけない.