2010年12月30日木曜日

言葉を書き残す願望とそれをかなえるデバイス

年の瀬の慌ただしさの中,念願だったキングジムのポメラDM20をようやく手に入れることができました。
そこで今回はポメラを使いながら書いたメモ書をアップしてみることにします。この文章自体ポメラで入力したものです。
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句読点のデフォルト設定はどのようにして切り替えるのだろう?
自分は技術文書を書くことが多いので「。」とか「、」ではなく「.」や「,」がいい。
句読点のデフォルトを切り替えることができないのだとしたらとても残念なことだ。
だが調べてみるとやはり変更することはできないみたい。
入力後に変換して句読点からコンマへと変える必要がある.
今後ファームのアップデートなどでぜひ対応してほしい点である。

仕事ではemacsをよく使うのでポメラのショートカットをemacsライクにできる選択があれば個人的にうれしい。

スペースキーの高さが低くて親指の横で押すには苦しい感じがする。いつも右手の親指の側面で打つ癖がついているからキーの高さが低いといつもよりも余計に親指を移動させる必要があるからだろう。

付箋文の取り扱いにもまだなれていない。
そしてやはり句読点を入れるたびに丸がでるとがっかりするのだ。
タイムスタンプを入れたときに自動改行されればちょっとうれしい。
タイムスタンプを打つような時って行の途中に入れることよりも1つの独立した行にタイムスタンプだけを残しておきたい場合が多いと思うのだ。

制御文字を表示する設定にしていたがやっぱりやめることにする。
改行が表示されたところでうれしいことはない。そればかりか目障りに思ってきた。

付箋文による付箋検索機能というのは文字検索とどのように違うのだろうか?付箋文を挿入した場所を別途保持するメモリーを持っているとは思えないので文字列検索をしているだけなのではないか。このようなマニアックな製品のマニュアルでは機能が働く仕組みまである程度解説してもよいのではなかろうか?

キーストロークは予想より深そうだ。
それにもかかわらずスペースキーの入力がしにくい原因は、キーボードの縁のフレームの高さがキーのしずみ込んだときの高さと同じであることに起因すると思われる。
デスクトップPCのスペースキーを横から眺めてみるとキーを押した状態にしてもキートップはキーボードの縁の高さよりもはるかに出っ張った状態になる。一方のポメラはスペースキーを押すと縁のフレーム部分とほぼ同じ高さになるのだ。だから手前斜めの位置から親指の側面でスペースキーをたたこうとするとスペースキーが完全に沈み込む前にキーボードの縁に当たってスペースキーは中半端にしか打ち込まれず不安定な入力になりがちだ。角張ったキーボード手前の縁を削って斜めにすればもっと入力はしやすくなりそうだ。あるいは手前の縁のスペースをもう少し狭くするだけで入力のしやすさはかなり改善されるのではなかろうか?

ポメラを使っていて思い出すのは約20年ほど前にPC98で動いていたP1EXEとかMIFESといったDOS時代の定番ソフトだ。単純明快な画面構成とシンプルなレイアウトが昔を彷彿とさせる。あの時代の良さは画面にでるアプリケーションはただ一つであって、心を騒がせるようなネットの情報もなく実行している唯一のアプリケーションソフトに集中することができた。あることをやっていて別なことをするためには今作業していたアプリケーションを終わらせる決断をする必要があった。現在はどうかといえば、エクセルやワード、パワーポイントを次々に開きながら複数のドキュメントを渡り歩きながら、メールをチェックしブラウザにニュースを追う。あらゆることが同時にこなせているかのような錯覚を人にもたらすが、仕事の効率は果たしてDOS時代よりも向上しているだろうか?文章を作るという仕事に限れば、効率が落ちているのではないかと私は思う。

ポメラの単純さは、現代人の陥りがちなマルチタスクへの幻想から目覚めさせてくれるきっかけとなるように思う。
実際に文章を書く作業をパソコンではなくポメラで行ってみると、短時間のうちに長文を書いている自分に気づいた。それしかできない機械に向き合っているとパソコンを使っている間にありがちな雑念が不思議とわいてこない。向き合う機械でできることとできないことを無意識の中でも分別して雑念を意識の上に沸き立たせているのではないかとさえ思う。
使える状態になるまでの時間がとても短いのもいい。使いたいと思ったそのときにすぐ起動する手軽さは、万能性と引き替えに遅くなったパソコンと対照的だ。パソコンでもレジューム・サスペンドを使えば素早く起動するかもしれないが、大抵は起動したあとに文章を書くためのアプリを起動するか、その前にネットブラウザを立ち上げる誘惑と戦わねばなるまい。
また電池寿命を気にせず使えることも大きい。一時期、私はスマートフォンにモバイルキーボードを組み合わせて使うことも検討したことがあったが電池寿命の悪さを思い知らされあきらめた。文章を書くには文章を書く以外に気になることがない方がいい。電池寿命のインジケーターを気にしながらキーボードを叩くなんてことはそもそもありえない。そんなことをするくらいなら書かない方がいいと思ってしまう。
やりたいことがあり、それを行う手段があっても手段そのものにストレスがあるなら、やる気がそがれてしまうのだ。ポメラは文章を書きたいと思っている人に紙とペンと同じくらい気楽な環境を提供してくれるものであると思うのだ。

ポメラの液晶はバックライトこそ入っていないがとてもクリアだ。15年前にあった日本語ワープロの液晶と比較しても表示スピードが圧倒的に速い。モノクロディスプレーといえども時代の進歩を感じさせる。
1つ1つのドットがクリアだから文字を小さく表示させても読みやすい。ただし視野角が非常に広いので新幹線の中など隣の座席の人から容易に読めるだろう。恥ずかしい文章を人目にさらしたくないと思えばブラインドシートなどを貼ったほうが良さそうだ。

漢字変換について酷評しているコメントを何度か目にしたが、予想よりしっかりした変換性能だと感じた。ただ使用頻度の低い熟語の語彙は貧弱なようである。私の印象としてはMSIMEよりはマシだという程度のレベルではないだろうか。

SDカードを挿入してから1度だけ電源をOFFするときにハングアップした。現象としては電源OFF時のメッセージ画面が何時までも表示されたままとなり永遠に終わらない.仕方なくリセットボタンを押して復帰させた.
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小説を買いてみたいと長年思ってきた。特に才能があるとも思えないのだけど文章を書くことが好きで自分の書いた言葉を人に読んでもらいたいという願望が強いのだと思う。それは自分を知ってもらいたいとの意識が源泉となっていて自分がここにあるということを証明したいという思いにつながるのではないかと思ったりする。
人の命には限りがあって36歳にもなり親交のあった人との別れをいく度か経験しはじめた。
死に別れた人の生前語った言葉は残された私たちの心に残って、死別した後もなお私たちに語りかけるということを知った。人の語る言葉は他の人の心をすみかとしてその人の心に自分の分身ともいうべき魂となって乗り移るのだ。昔の人はこれを言霊といったのだろう。なんともうまい表現だと感心する。
だからという訳でもないが、私は少しでも多くの言葉を残したいと思うのだ。やがて自分も死ぬだろう。病に伏して死ぬかもしれないし事故で突然死ぬかもしれない。ただ死ぬ間際というのは生命力の衰えた肉体にうろたえる弱った自分の意識があるに違いないと想像する。そして元気なうちにこの世に自分の足跡をもっと残しておけばよかったと後悔しているような気がするのだ。心のどこかでこの世に一番効果的な足跡を残す方法というのは文章を残すことだと堅く信じている自分がある。
ところが、いざペンを握ったりパソコンを前にすると何も書くことが思い浮かばない。さあ書こうという環境や姿勢を整えた瞬間に書きたいという気持ちがさめてしまうのだ。そんなものは怠慢だと言われればそれまでなのだが、どうにかしてそれを克服し目的を達成したいと常々思っていた。そこにポメラが登場した。ポメラは起動時間が極めて短く、いつでも何処でも文章を思うまま迅速に入力でき、電源を気にする必要のない夢のような文章入力デバイスであると思う。使ってみた感じ買う前の想像通りであったと言っていい。気の向くままに文章を書くことができることの効能はそれを手に入れてからじゃないと分からないことだ。そんなものがなくてもペンと紙があれば文章を書けるだろうと言う人もいるだろう。しかし紙に書いた文章は管理が難しい。多数の文章を永続的に保管することは難しいし不特定多数の人に呼んでもらうためには、さらに一手間かけねばならない。だから今更手書きで文章を書き記す気にはならない。パソコンを使えば何でもできるのだが何でもできることと引き替えに集中力に欠くのだ。
ネットにもつながらずゲームもできないポメラでできることは唯一、文章を書くこと。向き合う時間がすべて目的に費やされるのがいい。パソコンが万能性を発揮することがそれを操る人間の幸福に寄与するかと言えばそうともいえない。何でもできる代わりに操作する人の目的意識の強さが生み出す成果の完成度に大きく影響する。たくさんのウインドウを同時に表示することができても人が見ることができるのは常に1つだ。ウインドウから別のウインドウに視線をずらすたび記憶のフラグメンテーションが仕事の効率を落としているような気がしてならない。
これから私はポメラを片手に少しでも多くの言葉を書き残せたらと願っている.

2010年12月9日木曜日

突然の別れ

そういえば僕が社会人になった12年前も
超就職氷河期といわれてた.
僕は,農学部で農薬の研究室に所属し
カビを培養する研究をしてたにもかかわらず
電子部品を製造するメーカーに就職を決めた.

大学時代,
留年してしまったぐらい
全くマジメに勉学をやらなかったので
専門でまともな就職先はなかったのだけど
中学生の時から趣味で遊んでいたコンピュータの知識が
就職難の時代に僕を助けてくれたのだった.

入社式のあった4月1日からゴールデンウイーク頃まで
関東周辺にてグループ会社合同の新人研修が続き,
エンジニアの仕事場となる工場に配属されたのは
ゴールデンウイーク開け.

僕は,希望がかなって盛岡工場に配属となった.

それから さらに半年間,
製造ラインに立っての実習.
ラインのおばちゃまたちに揉まれ
ようやく開発の現場に配属されたのは
9月の半ばを過ぎていたと思う.

期待して配属された開発の現場だったが,
僕に与えられた最初の仕事は,評価作業.
先輩たちの設計したプリンタメカが
期待通りの性能を持っているのかを
様々な温度環境で確認するという仕事.

「チャンバー」と呼ばれる-45度から85度まで
温度を調整できる部屋に入り,
評価作業をしレポートにまとめる日々.
特に辛いのは湿度のかかった試験.
気温30度+湿度90%とか.

先輩社員の指示する評価メニューを
こなすだけの毎日が3ヶ月ほど続いた.

いい加減,会社が嫌になったころ,
僕はモバイルプリンタの開発チームに加えられ,
ヒョロッとした感じの,
朝には決まって酒臭い気がする
大先輩エンジニアのOさんと出会った.

Oさんは,熊本出身の九州男児.
口数は少ないが,言葉に重みのある人だった.

ある時,
「僕は何すればいいですか?」って
Oさんに聞いた時があった.

下っ端根性の染み付いた僕にとっては,
当然の質問だったのだが,
Oさんは,なんだか呆れた表情.

ぶっきらぼうに言い放った
あの言葉が今でも忘れられない.

「仕事は自分で作れ」

シチュエーションとしては,
怒られたはずなのだけど
不思議にも僕は,この時
悪い気持ちがしなかった.
むしろ,やっと自分で考える自由を
許されたという安堵を覚えた.

Oさんとは,僕がこの会社をやめるまで
ずっと同じチームだった.

いつもズバッと率直な事を言ってたOさん.
製品開発の幅広い分野に深い知識を持っていた.

問題が起こった時も
じたばたしがちな開発チームの中で

「やるしかないだろ」

って真っ先に腰をあげる人がOさん.

そして,いつも飾らないOさんの,
さりげない気遣いが温かかった

8年前,僕が会社を辞めて,
会社の同僚とちっぽけな会社を始めた時から
ずーっと,時折,Oさんは電話をかけてきては
「元気かあ.忙しくしているか?」と
電話してきたり,
「おい,〇〇部品の在庫あるか?」って
突然電話してきて,
ものを借りに来ることを口実に
ちゃんと食えているか
様子を見に来てくれたこともあった

そんなOさんから今年の8月ころ
今思えば妙な電話が来た.

「ものすごく暇なところにいるんだけど」
「暇潰せる何か面白いこと無いか?」

どこにいるのか聞いても
笑ってごまかすだけでOさんは
居場所を言わない.

僕はいつもの調子で,
製品トラブルを解決しに
客先へ飛んだけど
早めに解決して
暇を持て余しているのだろうと
そう思い込んだ.

勘の悪い自分に今呆れている.



2週間前.
僕は思いもよらぬ話を人から聞いた.

Oさんが癌で入院しているというのだ.

皆に心配をかけまいとOさんは
入院を隠していたと後で知った.
あっさり完治して何事もなかったように
職場復帰するつもりだったのだと思う

すぐにお見舞いに出かけようかと
気がはやるのをこらえ
僕はタイミングをうかがうつもりでいた.

そして,今週の月曜日の昼頃.
僕のケータイが鳴った.

ディスプレーには,Oさんの名前が.
呼吸を整えてから電話に出た.
少しかすれ気味のOさんの声.

「あのさ,おれ癌で入院しているんだけど,
 これまで医者に任せていたんだけど,
 大分悪いんだ.
 癌を克服した先輩とか
 たくさんいるから
 連絡取りたいんだけど
 携帯のメールは
 もうできそうもないんだ.
 だから,ここで,病室で
 パソコンでネットできる方法を
 探してもらえないだろうか?」 

確かにOさんはそう言った.
僕はただならぬものを感じて.
電話を切った後,
急いで空いているノートPCを探して,
Windowsの動作チェックして
モバイル通信カードと準備をして,
Gmailのアカウントをとって,
諸々セットアップして
その日の夕方,医大病院へ車を走らせた.

教えてもらった病室の番号を
書いたメモを手に,
セットアップしたばかりのパソコンを
収めたかばんを肩にぶら下げ,
初めて入る医大の薄暗い廊下を急いだ.

病室の一番奥にOさんはいた.
Oさんの姿は苛酷な闘病の経過を
理解するのに十分だった

久しぶりのOさんとの会話.
Oさんは,やっぱり根っからのエンジニアで
Andoroidの次なる家電への応用について語ったりしながら,
闘病のため休んでいる会社の同僚への負担を気にしていた.

そして自分のことを冷静に捉えていた.

「その点滴は,痛み止めのモルヒネと栄養剤.
 もう延命治療しかないらしい.
 本当は,病院は,治療法の尽きたオレに
 もう退院して欲しいんじゃないかな」

Oさんはサラリと言った.

僕はなんと行っていいのか言葉も見つからない.
頷くこともできず,唇をかむことしかできなかった.

「でも諦めきれないんだ.
 癌に勝った先輩に連絡取りたいんだ.
 でも携帯は疲れるからもうだめなんだ.
 それでパソコン欲しかった.
 ありがとう」

胸が潰れそうになるのをこらえて,
別れ際,手を握って
「元気をだして」って言ったけど,
帰る廊下を歩きながら
もっと他の言葉があったのではないかとか
いろんな思考が僕の頭をグルグル空回りしてた.

助かる道がひらけますようにと祈ることしか
僕にはできないことが
心底くやしいと思った.



今朝,Oさんが天に召されたと連絡がきた.
まだ50歳代になったばかり.
Oさんは最後まで生きようと戦ってた.

最後に会った時,僕の挫折を聞いたOさんが
語ってくれた言葉が,僕に重く響いている.

「結果はどうあれ,
 論文には,まとめておけ.
 後に残る形にしておくことが大事だ」

これがOさんから僕への遺言となってしまった.
最後の最後まで僕は,先輩に指導して頂きました.

冥福を祈りながら涙がこらえきれない.

Oさん,さようなら.

2010年12月9日.
鎌田 智也

2010年12月7日火曜日

ムネオ氏が収監された日

1週間ほど前読んだ本「獄中記」佐藤優著.
中身の紹介はアマゾンに譲るが
600ページにも及ぶ大作にも関わらず
またもう一度読み返したくなる一冊である.

とても日記とは思えない緻密な内容.
生きることの意義まで考えさせられてしまうのである.

昨日,鈴木宗男氏が収監された.
佐藤優氏にとってもひとつの区切りとなる日であったに違いない

佐藤優氏と鈴木宗男氏.
小泉政権下において連日マスコミは
日本に蝕む古い政治の暗部が
さも2人に集約されているかのような
扱いでドラマチックに報じた.

彼らの人物像.日常.思考が見えぬまま
悪人であるイメージが刷り込まれていたのだと
今まさに思う.

なにか直接は目には見えぬ存在があって,
時代は,あの時,二人を生贄にした.
そして歴史は動いていたのだと,
今さら気付かされるのです.

歴史が動いた瞬間にい合わせても,
その事に気づくのは後の事.
そのことを事実として受け止めねばならないのだと
この頃思うのです.

時間には2つの種類があって
それは日常のような連続液な時間と
大きな出来事が記念碑としてそびえ立つ断絶された時間.

国家による暴力と無縁であると信じていた日本が
我々から直接見えない存在によって
確かに意志をもって
人を利用し,あるいは排除して
ある方向へと動いているように見える

共産主義国家の衰退した今.
それは資本主義国家のめざましき発展と
摩擦による不快なきしみの生じた
80年前と類似しているのかもしれない.

時代が繰り返すというなら
1930年代にあった帝国主義の防衛が
形を変えて今まさに甦ろうとしている.
そんな時代の瞬間に居合わせているのかもしれない

鈴木宗男氏の収監.
彼を排除した目に見えぬ意志は,
政権の交代によって
果たして断絶したのだろうか.

2010年12月2日木曜日

循環する時間

日本人には「循環する時間」の概念があるのだと
最近読んだ本に書いてあった.

「循環する時間」というのは,
例えば新年を迎えるときに,
未知なる新しい時間がやってきたというよりは
リセットされて再びリフレシュな
新しい年が来たようなあの感覚だ.

「循環する時間」の感覚があるのは
世界に共通しているということではないらしい.

欧米・中東では,時間には始まりがあって終わりがある
一直線のものであるという感覚で時間を捉えているのだそうだ.

循環する時間の感覚があるのは,主にアジア圏.
輪廻転生の仏教的な文化の影響だろうか.
或いは四季の移り変わりの明確な風土が影響しているのだろうか

自分を振り返れば,循環する時間の感覚を持っていることによって
助けられたような気もするし,
それによって時間を無駄にしてしまったような気もする.

例えば,毎年冬に今年こそはスキーをやろうと思ってみても
めんどくさくなって,また来年やればいいやと思って
結局,いつまでたってもやらずじまいなのである.

一直線に流れる時間感覚を持っていたなら,
循環的時間感覚をもつものよりも
今この瞬間をもっと大切にしなければならないと思うのではないか.

また或いは,再び同じ季節や時間が巡ってくるという感覚の延長線上に
何時までも寿命があるような錯覚を助長するのではないか.

現実には来年の今頃は,死んでいるかも知れない.
極端なことを言えば明日の夜には死んでいるかも知れないのだけど
毎日同じ時間がやってくる,来年もおなじ季節を迎えていると
信じて疑わない自分がいる.

今年も12月となり残すところ1ヶ月となった.
1月にやろうと決心した事柄をこなすことはできていない.
あと1ヶ月.

ふたたび自分に与えられる時間は無いのだといい聞かせて,
今の時間を使いたいものだと願ってはみるのだけど,
疲れの抜けない体の気怠さに負けて
直ぐにくじける自分が情けない.

2010年11月4日木曜日

OpenCV2.1のC++実装を利用したkalman filterサンプル

OpenCV使い始めて8年.
最初の頃はIntel Primitive Library(IPL)とか
Intel Performance Primitives(IPP)とか,
Intelのライブラリが必須だったのに,
いつの間にかそいつらは不要になって単体で
動くようになったOpenCVも今は2.1がリリース
されちゃってます.

2.1で特質すべきはC++の実装があること.
CvSeq*とかCvMat*とかポインタのお化けプログラムから
おさらばしたくてC++のOpenCVにチャレンジしてますが,
サンプルが不足してて苦戦します.

今日はkalman filterのサンプルをC++実装に置き換えて
みたので調子にのってブログにアップしちゃいます.

と言っても100%C++ライクになっているかといえば
嘘で行列周りでCvMatに戻ったりしてますがその辺は
許してください.
C++にしてよかったと思えるのは今のところ行列の計算
だけですね.

/*
Tracking of rotating point.
Rotation speed is constant.
Both state and measurements vectors are 1D (a point angle),
Measurement is the real point angle + gaussian noise.
The real and the estimated points are connected with yellow line segment,
the real and the measured points are connected with red line segment.
(if Kalman filter works correctly,
the yellow segment should be shorter than the red one).
Pressing any key (except ESC) will reset the tracking with a different speed.
Pressing ESC will stop the program.
*/
#define CV_NO_BACKWARD_COMPATIBILITY
#include "cv.h"
#include "highgui.h"
#include
using namespace cv;
int main(int argc, char** argv)
{
const float A[] = { 1, 1, 0, 1 };
Mat img(500, 500, CV_8UC3);
KalmanFilter kalman(2, 1, 0);
Mat state(2, 1, CV_32FC1);
Mat process_noise(2, 1, CV_32FC1);
Mat measurement(1, 1, CV_32FC1);
RNG rng(-1);
char code = -1;
measurement = 0;
namedWindow("kalman", 1);
for(;;)
{
rng.fill(state, CV_RAND_NORMAL, Scalar(0), Scalar(0.1));
CvMat transition_matrix = kalman.transitionMatrix;
memcpy(transition_matrix.data.fl, A, sizeof(A));
CvMat measurement_matrix = kalman.measurementMatrix;
cvSetIdentity(&measurement_matrix, cvRealScalar(1) );
CvMat process_noise_cov = kalman.processNoiseCov;
cvSetIdentity(&process_noise_cov, cvRealScalar(1e-5) );
CvMat measurement_noise_cov = kalman.measurementNoiseCov;
cvSetIdentity(&measurement_noise_cov, cvRealScalar(1e-1) );
CvMat error_cov_post = kalman.errorCovPost;
cvSetIdentity(&error_cov_post, cvRealScalar(1));
rng.fill(kalman.statePost, CV_RAND_NORMAL, Scalar(0), Scalar(0.1));
for(;;)
{
#define calc_point(angle) \
cvPoint( cvRound(img.cols/2 + img.cols/3*cos(angle)), \
cvRound(img.rows/2 - img.rows/3*sin(angle)))
float state_angle = state.at(0,0);//->data.fl[0];
CvPoint state_pt = calc_point(state_angle);
Mat prediction = kalman.predict();
float predict_angle = prediction.at(0, 0);//->data.fl[0];
CvPoint predict_pt = calc_point(predict_angle);
float measurement_angle;
CvPoint measurement_pt;
rng.fill(measurement, CV_RAND_NORMAL, Scalar(0), Scalar(sqrt(kalman.measurementNoiseCov.at(0,0))));

/* generate measurement */
measurement = kalman.measurementMatrix * state + measurement;
measurement_angle = measurement.at(0,0);//->data.fl[0];
measurement_pt = calc_point(measurement_angle);

/* plot points */
#define draw_cross( center, color, d ) \
line(img, Point( center.x - d, center.y - d ), \
Point( center.x + d, center.y + d ), color, 1, CV_AA, 0); \
line(img, Point( center.x + d, center.y - d ), \
Point( center.x - d, center.y + d ), color, 1, CV_AA, 0 )

//cvZero( img );
img = 0;
draw_cross( state_pt, CV_RGB(255,255,255), 3 );
draw_cross( measurement_pt, CV_RGB(255,0,0), 3 );
draw_cross( predict_pt, CV_RGB(0,255,0), 3 );
line(img, state_pt, measurement_pt, CV_RGB(255,0,0), 3, CV_AA, 0 );
line(img, state_pt, predict_pt, CV_RGB(255,255,0), 3, CV_AA, 0 );
kalman.correct(measurement);
rng.fill(process_noise, CV_RAND_NORMAL, Scalar(0), Scalar(sqrt(kalman.processNoiseCov.at(0,0))));
state = kalman.transitionMatrix * state + process_noise;
imshow("kalman", img);
code = (char) cvWaitKey( 100 );
if( code > 0 )
break;
}
if( code == 27 || code == 'q' || code == 'Q' )
break;
}
cvDestroyWindow("Kalman");
return 0;
}

2010年10月29日金曜日

言葉と記憶

目を閉じながら
今日あったことを振り返ると
言葉にならない風景が
子供のときよりも
色あせてきたことに
気づいたのです.

言葉になって思考した
あの時を思い出せても
あの時,自分が何を感じて見ていたいのか?
どんな味の飲み物を飲んでいたのか?
昼の食事の匂いはどんなものであったのか?
感覚的な記憶のリアリティーが
明らかに子供のときよりも
落ちていると思うのです.

それはまるで現実に直接手で触れた経験があるのに
記憶の中ではテレビを見ただけみたいな
安ぽいものに化けてしまっているようなもの.

だから脳みそは
「そんなチープな記憶は消してしまえ」と
記憶を消していくのではないでしょうか.

有名な学者が言っていました.
「楽しい人生を歩むコツは上手に忘れることだ」と

もし記憶が感覚的なものだけで
構成されているとするならば
記憶からリアリティーを消し去ればいい.

記憶の中の自分を客観視して,
幽体離脱したかのように
テレビドラマの主人公をみるつもりで
自分の記憶のドラマを
感覚的に眺めるのです.

そうすればその記憶は
リアリティーを急速に失って
チープな記憶となって
存在も失われていくはず.

でも実際に記憶を失うことは
そんなにたやすい事ではありません.

なぜなら記憶の多くは感覚だけではなく
言葉になって脳裏に焼き付いていて,
その言葉は思い出されたとき,
まるで小説を開いて
ページをなぞったときのように
心のなかで再生され,
リアルな映像と感覚を
心に再び呼び起こすから.

だから言葉と共に
心へと刻まれた思い出は,
離れることはないのでしょう.

生き続ける限り
僕らの心をいつまでも
揺さぶり続けるのです.

言葉にならない風景が
幼いとき生きた記憶の世界を
支配しているのなら,
大人になった僕の記憶を支配するのは,
言葉の記憶なんだろう.

だから,もし心の言葉が失われることがあるならば
それは記憶の大部分を奪い去ることを意味するに違いない.

また,記憶のなかの言葉が
その時その人が生きた感覚を
呼び覚ますのだから,
その言葉を残したその人の心は,
その言葉を伝える人々の心に
生き続けているというのは本当なのだと

僕はそのことにも気付かされるのです

2010年10月26日火曜日

汲み取り式トイレと思い出

僕は汲み取り式トイレが死ぬほど嫌いです.

汲み取り式トイレ,通称「ボットントイレ」に
入るくらいなら,木の木陰でしたほうが
よっぽどましだと36歳のオッサンになった
今もマジで思っています.

物心付いた時から汲み取り式トイレに入ることは,
それは恐ろしくて用を足さねばならない緊急時に
どうしても周りに汲み取り式トイレしかない場合は,
まず外を見まわって,草の陰とか木の間など
隠れて用を足せる場所を探したものです.

大人になった今は,さすがにそんなことはできないので
汲み取り式トイレしか無い状況に陥ったら,
どんなに遠くても車などで水洗トイレのある場所まで
行くことでしょう.

そんな極度の汲み取り式トイレ恐怖症の僕が
小学生の低学年だった頃のこと

私の家族は地方都市の自衛隊官舎に住んでいました.

自衛隊の官舎は多少古くとも5階建てぐらいで
鉄筋コンクリートの建屋というのが多くて
水洗トイレぐらいは完備していたものです.

僕の家族が入居していた官舎も幸いにして
水洗トイレだったので自宅にいるかぎりは
問題ありませんでした.

大変だったのは夏休みや冬休みに長期間,
田舎の祖父母の家に遊びに行った時です.

私の両親の実家は,一方が秋田県山本郡八森町で
もう一方が北海道空知郡上富良野町でして,
30年ほど前は両方共に一般の家に水洗トイレが
全くと言っていいほど普及していない地域でした.

長期の休みの時に祖父母の家に遊びにいくことは
楽しみである反面,汲み取り式トイレをどうにかして
やり過ごさねばならず,その問題は幼い僕にとって
死活問題であったのです.

そんな僕の忘れられない思い出.

いつの夏だったのか詳しく思い出せませんが,
恐らく僕が小学校の1年生か2年生の頃だと思います.
当時,僕の家族は岩手県盛岡市に住んでいて,
小学校の夏休みに家族で北海道の祖父母の家に
遊びに行った時のこと.

僕は遊びに行った初日ぐらいは元気にしていたのだと
思いますが,たまに遊びにいく祖父母の家では,
次から次へとご馳走がでて絶えず食べ続けねばなりません.

食べたものはドンドン消化されます.
用をたしたくても汲み取りトイレ故に我慢する僕.

次第に我慢の限界が近づき青い顔をして
元気がなくなってきたのだと思います.

祖父母が心配してどうしたのか僕に訪ねました.
僕も幼いながらも恥ずかしくて理由をなかなか
言い出せませんでした.

特に祖父は,元警察官だけあって
体はガッチリとして声は大きく,
背は高く,いつも理屈っぽくて,
理由を知ったら怒られそうだと
僕は怯えていました.

しかし我慢も限界となり,ついに白状.

ぼっとんトイレが怖くて
トイレに行けなくて困ってたと知った祖父.
きっと情けないヤツだと思ったに違いありません.

でも祖父はおもむろにスコップを持って
100坪くらいある庭の一角に植えてあった
トウモロコシ畑の中央付近をこじんまりと円形に刈り取り,
真ん中にスコップで穴を堀って
トウモロコシ畑の外側までうねるような
S字の小道を作りました.

それは僕用のトイレでした.

汲み取り式トイレの人工的な穴はとても恐ろしいけど,
畑に掘られた30cm程度の土の穴はまったく
怖くもなんともありません.
自分が砂場で掘った穴みたいなものです.

そしてトウモロコシのおかげで
周りからは見えない,僕の最高のトイレでした.

喜んで用を足した僕.
孫が心底ホッとした様子を見て,
この時ばかりは祖父もニヤニヤしがら
うれしそうにしていました.

夏,トウモロコシ畑を見るたびにあのトイレが脳裏に蘇ります.

今は亡き祖父の温かな心を感じる僕の思い出です.

2010年10月24日日曜日

「愛燦燦」

「今」というのは,
この一瞬しかないから
儚いものだと思う.

「過去」と「未来」は,
儚い今とは対極的な存在であって
それはまるで大きな岩のように
どっしりとしていると思うのだ.

過去というのは,
時間をかけて
じっくりと思い出を
味わうことができるから
いつまでも眺めることのできる
安定感がある.

未来というのは,
希望を胸に抱き,
そして幼い我が子が
今よりも成長した姿が
必ずあるのだと信じる
幸せがある.

過去と未来の隔たりの間に
一瞬の「今」があって
今を生きるこの瞬間には
過去の私が
吉も悪しきも
積み上げてきた
その時々の私の存在があったから
今の私がある.

そして,鎖で縛られて
身動きできないという
錯覚に囚われながら
もがき苦しむ今があって
もし,この気だるさの壁を
乗り越えることができたなら
過去と未来を隔てる「今」が
過去と未来を断ち切る刃となるのだ

歳を取るたび過去達は
貧相な私の心に
自動的に溜まっていって
それは心を温めてくれたり
苦しめたりするのです.

ぶつぶつと ここまで書いていたら
小椋佳さんが作詞作曲した
「愛燦燦」の歌詞が心に浮かんできました

♪ああ 過去達は
♪優しく睫毛に憩う
♪人生って 不思議なものですね
♪ああ 未来達は 人待ち顔して微笑む
♪人生って 嬉しいものですね

まだ心の底から人生が嬉しいって
思えるほどの心に余裕はない
青二才なのだけど
「愛燦燦」みたいな曲が
自分の心を
温めてくれるようになったのだと
人生の折り返し地点にある私の
揺れる心を見つけた
満月の夜なのでした.

2010年10月23日土曜日

家電量販店におけるトキメキ感

出張の帰り駅に降り立ち,
さあ自宅方面へのバスに
乗ってまっすぐ帰ろうかなあと思ったのだけど
時間は まだ6時過ぎで,
ちょっと寄り道してみたくなった.

そこで,子供らが生まれてから
縁遠くなった家電量販店に
寄ってみることにしたのである.

盛岡駅から歩いて10分ほどにある大型店をめざす.

10月も21日となって6時過ぎにもなると
ほとんどくらい道.
空気はひんやりと気持ちがイイ.

道すがら盛岡駅裏の立派な空き地の向こうに
ライトで照らされた重機が見えた.
ちょっぴり絵になると思ったけど
カメラを取り出すほどではない.

そして比較的新しい家電量販店に程なくついた.

パソコンや映像機器などが置いてある
フロアを40分程度散策した.

僕は18歳で家を飛び出してからというもの,
時間があれば電気屋さんに足を運んだものだった.
なにが面白くてそんなことをしてたのか
今振り返ってみると,
商品を見て妄想を描いていたのだと思うのだ

電気屋さんに並ぶ商品をながめ,
心のなかでは,
「これがあれば面白いことができる」
とか
「これを使っている姿はきっとカッコいい」
とか
「これさえあれば自分の能力は皆よりアップできる」
など,
現実に購入したとしても必ずしも
そうなるものでもないのだが
商品を眺めながら心に沸き立つトキメキ感を
楽しんでいたいのだと思う

ところがである.
久しぶりに一人で電気屋さんを
40分も回ったにもかかわらず
そのトキメキ感は得られなかった.

これは自分にとって大きな驚きと発見であった.

年をとってつまんないオッサンになってしまった
ということだろうか.
きっとそれもあると思われるが,
それだけではないようだ.

40分回ってみて興味をかきたてられたのは
その値段.
製品の持っている機能がもたらす,
生活が豊かになるという期待感とかが
沸き上がってくることはほとんどなくて
ただ安いことだけが魅力になっているのだ.

これでは今買うともっと安くなりそうだから
買ってしまったら損をしそうな
気になってしまうじゃないか

それと家電量販店の売り方以外に,
値段そっちのけで欲しい製品分野というのが
無くなったと思う.

テレビ.デジカメ・ビデオカメラ・オーディオ・電子辞書・パソコン・ケータイ

カテゴリーはこれで固定化しちゃってるから
名前を見ただけで商品のもたらす効能が
イメージできちゃって
個々の製品の説明を読む必要もない.
デジタル化によって製品ごとの
性能もほぼ横並び状態だし.

だから 値段だけしか魅力になりえないのだろう.

おそよ40分間,お店の中をグルグルと
くまなく眺めた僕は,
さめた気分でお店をでた.

夕闇はさらに深まり,
空気はいっそう引き締まった感じがした.

バスに乗るため
再び盛岡駅に向けて歩きながら,

日本の電機メーカーは,
家電量販店がどこの製品カテゴリーに
並べたらいいのか
困るような製品を開発しないと
未来はないと確信した.

2010年10月22日金曜日

自転車操業

同じ人力でも歩くのと自転車では進むスピードが大きく違う.
徒歩で進み続けるには,
文字通り足を動かし
続けなければならないのに対し
自転車では惰性によって
足を止めてもある程度進むことができるから,
休みつつ移動できる.
だから徒歩は動き続けなければいけないという点において
自転車より楽ができないといえる.

ここまで書いておきながら,
こんなこと書くまでもないなと思うのだけど,
こんなことでも書かないでいると
ブログは永遠に放置されるままなので
書き続けるのである.

自転車にのっているとき
ペダルを動かす足を止めても
ある一定距離進むのは
慣性力によるものだ.

徒歩と自転車を比べたときに
楽ができるかどうかは
慣性力を利用しているか否かに
かかっていると言っていいだろう.

昨日の朝,道を走る自転車を見て
そんな当たり前のことを心に思いめぐらしていたら,
企業と個人事業との違いが,
徒歩と自転車の違いに似ていると思い
一人で妙に納得してた瞬間があった.

よく不安定な中小企業の経営状態を
自転車の歩みになぞらえて
自転車操業というけど,
個人事業者のように運営する人の数が
限られているような状況では
自転車のようにペダルを
こぐ足を休める余裕はない.

絶えず足を動かし続け
前に進み続けなければならないのが
現実の小企業・個人事業の経営の姿であろう.

自転車のように慣性力が働いて
多少休んでいても勝手に進んでくれる
余地がある企業というのは,
構成する人数の多い大企業であるといえる.

そして,たくさんの従業員が働いているところでは,
そのうち必ず働いていない社員がいるものだ.

童話に例えられるほど仕事熱心であると言われる
昆虫のアリでさえ,働きアリの3割は
常にサボっているらしい.

アリでさえそのような状況なのだから
大企業に務める社員の最低3割は
会社の利益に貢献することなく
遊んでいる状態であると見積もっても
さほど大きな誤りではないだろう.

そのような遊んでいる社員というのは,
大企業を自転車にたとえるならば
ペダルを漕ぐのをやめて
惰性で進んでいる状態と例えることもできよう.

とはいえ大企業だからといってその社員は
定年までずーっと会社の利益に
貢献せず遊んでいられるかというと
そんなこともないから,
そんな社員は査定が悪くて
そのうちリストラされるのがオチだ.

だから遊んでいる社員もしばらくすれば
いつの間にか会社の利益に貢献して,
そしてしばらく頑張って
またお休み状態になるサイクルを繰り返すことが多い.

企業で働くというスタイルは,
このように所属する組織の利益に
直接貢献している状態と,
利益には結びついていなくて
遊んでいるといっていい状態の
サイクルを繰り返すことができるという点において,
長い人生における遊びという名の余裕を持たせながら
前に進んでいける仕事のスタイルなのだと思うのだ.

ふらふらと歩道を進む自転車を眺めながら,
寝ぼけた頭でボンヤリと
そんなつまらないことを考えてた
昨日の朝だった.

2010年10月20日水曜日

努力と成長

「人に生まれたからには立派に生き続けるため
絶えず努力しなければいけない.」

これって小さい頃から心のなかに叩き込まれていて
努力すればいつかは必ず報われて
今よりきっとよくなると自分の深層心理は
固く信じているのです.

でもそれは単なる信念であって
生きる知恵であるにすぎないから
現実にはそうならなくて裏切られることも実際ある

努力して報われる社会の枠組みを用意することは
国家というスケールにおいて,
国民に幸せという利益を享受させるため
重要な政策課題であるに他ならない.

では努力して報われる社会を維持するため
国家は何を為すべきなのだろう.

努力して報われる状態というのは,
努力によってもたらされる成果が
自他共に進歩として認知される状態という視点で捉えるならば
努力する状況を取り巻く環境は,
程度が低いほうが都合がいいのは自明だ.
しかし継続的な努力による進歩は,
いつか飽和をもたらす.

それは多少の努力では進歩どころか
価値さえ産むのが難しい状態だ.

そして既に存在する価値は,人々に飽きられ
時間と共に猛烈な勢いで価値は
自動的に劣化していくから
現状を維持するためだけでも
多大な努力が必要な状態というのが
飽和した状態といえる.

国家が国民に努力して報われる社会を継続的に
提供するためには,この飽和した状態を打破する必要があるのだ

そのために国家は,一体どんな政策カードをもって
いるだろうか.

歴史と今の国家がとる政策を参考にすると
価値の飽和した状態をのりこえる方法は
次のいずれかの方策しか見つかっていないようにみえる.

(1)さらなる努力を促す
(2)価値を売り込む先の開拓
(3)既存価値の破壊

もっとも望ましいのは(1)さらなる努力によって
新たな成長手段や方向を得ること.
産業革命やエコ政策はこれに他ならないだろう.

しかし(1)は,発明や発見が必要だから現実に難しい
だから国家は(2)と(3)の方向性を探ることになる.

今アメリカは,ドルの量的緩和政策を進めているが
それは,努力せずに成長機会を得るための方策といえる.

自らの価値を低く貶めて,他の国家から見たときの
価値に対する対価を下げることによって
価値を売り込む先の開拓をしているのだ.
国家の中における価値を落とさずに
他の国家から見た時の価値を下げることは
平和的な方法で自らの既存価値を破壊しているといえる.
まさに(2)(3)を同時に行なうのが量的緩和政策なのだろう

でも量的緩和政策が成り立つのは,
自分以外の国家が同じ政策を行わない必要がある.

アメリカの中央銀行がじゃぶじゃぶドル紙幣を印刷して
みんなが簡単にドルをもらえる状態にしているから,
ドルの価値は今猛烈な勢いで下がってる.
そして相対的に他の通貨の価値が上がってる.

今,70円台に突入しそうな円とドルのレートを90円ぐらいに
戻してもらうためには,ドルの価値を上げてもらうか,
ドルと同じように一万円札をジャブジャブ印刷して
皆が簡単に円を稼げる状態にして
円の価値を下げるのかのいずれしか方法は無いのだけど
アメリカは自国民の努力が報われる社会を提供するため
ドルの価値を核心的に落としているのだから
日本が何もしなければ,しばらく円高は維持されるだろう.

僕たち日本人が努力して報われる環境を取り戻すには
どうしたらいいのだろう.
円の価値を落とすことも難しいし,
新たなる売り込み先といえども
日本の提供する価値への対価が高いからには
新興国に日本製品を売っても暮らしていけない.

結局のところ我々日本人に残された道は,
さらなる努力をすることだけなのだ.

先人の日本人が休まず働くアリに例えられたほどの
努力家であったことは疑いの余地がないだけに
それ以上の努力が今の我々に可能なのか
チョット自信がない.

2010年10月19日火曜日

子どもが生まれて5歳にもなると
色々な事柄に興味をもつようなる.

そして子供の発する何気ない言葉が時に
日常の中へ埋没した気づきを与えてくれる.

今朝,息子が「影はなんで追いかけてくるの」と言った.
「うーん.光があれば影ができるんだよ」
と自分は詰まりながら答えた.

息子はわかったかわからないか知らないが
そのあとだまった.

僕の中では,息子の影に対する質問がトリガーとなって,
最近の厳しい現実と「影」の話題が重なった.

「光があれば必ずそこには影がある」とか,
「光が強ければ影は濃くなる」など

なんだかなるほどなあと強いリアリティーを伴って実感されたのだ

5歳の息子との会話も,まんざら侮れないものだ

2010年10月1日金曜日

OpenCV2.1のめんどくさいヘッダーファイル群

2.1を使っていて不満なのは,cxcore.h cv.hをインクルードしたときに出る警告なのです.
コンパイルするたびに次の警告が表示されると肝心のエラーが下の方にスクロールアウトされてウザくなります.

#pragma message: Warning: "This is a deprecated opencv header provided for compatibility. Please include a header from a corresponding opencv module"

cxcore.hとcv.hは,過去のしがらみのためお情けで用意しているだけ.
さっさと,然るべきヘッダーをインクルードするように改めなさいということらしいです.
じゃあ何をインクルードすべきなのかというと,ドキュメントへの記載が見当たらない.
仕方ないので面倒くさいがcxcore.とcv.hの中身を見て確認した.
cxcore.hの代わりにインクルードすべきヘッダファイル

#include "opencv2/core/core_c.h"
#include "opencv2/core/core.hpp"

cv.hの代わりにインクルードすべきヘッダファイル

#include "opencv2/imgproc/imgproc_c.h"
#include "opencv2/imgproc/imgproc.hpp"
#include "opencv2/video/tracking.hpp"
#include "opencv2/features2d/features2d.hpp"
#include "opencv2/calib3d/calib3d.hpp"
#include "opencv2/objdetect/objdetect.hpp"

イッパイあって分かりにくくなった感じがします.覚えられないのでしばらくcv.hでワーニングを我慢するかcv.hのワーニング消すかしようかなと思います.

2010年9月17日金曜日

VC2005+tvmet で意味不明のエラー

tvmetっていう行列演算ライブラリがあるんだけど,こいつをvc2005で使おうとすると,次のエラーでコンパイルできない.

C:\cygwin\usr\local\tvmet-1.7.2\include\tvmet/Matrix.h(108) : error C2219: 構文エラー : 型修飾子は '*' の後にのみ指定できます。

問題が起こっている箇所は,例えば vector.h の99行目

const_pointer _tvmet_restrict m_data;

解決方法を模索して至った結論は,コンパイルオプションに次の定義を入れること.

-D_tvmet_restrict=

前出の const_pointerの定義の中で

typedef const _tvmet_restrict HOGE_TYPE * hoge;

というふうに定義されているらしく オプションなしでは _tvmet_restictがrestrictになって
そんな予約後はないよというエラーになるらしい.
最初からそう言ってくれよと言いたいところだがVCのエラーは「型修飾子は '*' の後にのみ指定できます。」なのだ.
MSのエラーメッセージの分かりやすさはMS-DOSの時から変わってないと感じる瞬間だった.

2010年9月16日木曜日

NTEmacs+vista compilation-modeで文字化けする場合の対策

12年前,会社の先輩にMeadowの存在を教えてもらってから,ずーっとEmacsを使い続けている.
今ではEmacsなしの仕事は考えられないのだ
Windows XPまでは Meadowにお世話になったが,Vistaを使うようになってからはMeadowが動かないのでやむなくNTEmacsへ切り替えた.

最近になってWindowsで動作する簡単なテストプログラムを開発するときに重いVisual Studioを起動するのがめんどくさくなって,NTEmacs+make+VCという組み合わせを使う機会が増えてきた.
そうしたら NTEmacsのcompilation-modeに表示されるVCコンパイラの吐き出す日本語のエラーメッセージが文字化けするではないか.
しばらくは我慢してcmd.exeを起動し,日本語のエラーメッセージを確認してたけど,ダラダラと長ーい行数のエラーが吐出されたときは全てが表示されず困ったことになった.
ググって調べたところ下記のコードを.emacs.elに書いて解決に至った.
参考にしたサイトは,間違ってとじてしまったので参照元は後ほど.
解決への重要なアドバイスを頂いた@osamuさんに感謝!

(setq compilation-read-command t)
(defun compile (command)
(interactive
(if (or compilation-read-command current-prefix-arg)
(list (read-from-minibuffer "Compile command : "
compile-command nil nil
'(compile-history . 1)))
(list compile-command)))
(setq compile-command command)
(save-some-buffers (not compilation-ask-about-save) nil)
(let ((coding-system-for-read 'sjis-dos) ;; この辺を適当なコード名にする
(coding-system-for-write 'sjis-dos))
(compile-internal compile-command "No more errors")))

(add-hook
'shell-mode-hook
'(lambda ()
(set-buffer-process-coding-system 'sjis 'sjis)))

2010年8月27日金曜日

デフレと希望

Twitterの内容をブログに転送するようになってからというものTwitterの内容でブログが毎日更新されるのはいいんだけどイザ自分が書いてみようかと思ったとき,すぐにTwitterのつぶやきの内容で埋もれてしまうがために書く気力が失せてしまうことに気づいた.
今日からTwitterの内容はブログには転送されない.

景気は回復するどころか益々悪くなる気配.
円の対ドル為替レートは,84円前半となっている.
たぶんもっと円高は進むだろう.
たとえ日本政府が介入したとしても効果は限定的だというし行けるところまで円は値上がりしちゃうだろう.
日本企業の海外進出は進んでいて今の84円では15年前と比較してもまだ体力が残っているという.
外国のニュースを読んでいるとこれまで好調だった欧州や米国の経済情勢は予想以上に悪いようだ.
現在の円高レベルに対して日本企業の体力がまだついていけるというなら,結局は体力の限界まで試されることになると思う.心理的には15年前の最高レート対ドル78円が壁だろう.

そうなったとき,いったい何が起こるだろうか.
今年6月だっただろうか.日産はマーチの国内生産をやめてタイから輸入することに決定した.
いわゆるマーチショック.そして現実に円高が進行しているのだから日産は経営者は企業利益を最大にする責任を果たしているといえる.
日本国内需要は少子化によって漸減していくことは間違いないから内需拡大は見込めない.日本産業の屋台骨を支えるモノづくり企業が生きていくためには外国にモノを売っていかなきゃならない.
日本のモノづくり企業が生き残っていくためには,①安物よりも魅力的な製品を開発するか②外国の安物よりももっと安物を作って売るか となるだろう
まあ世の中優秀な企業ばかりでもないしニッチで魅力的な製品を扱う企業っていうのは多くはないから,結局行くつくところは安さをセールスポイントにした価格競争に陥っていくことになる.

「カネはないけど欲しいです」って言われると「じゃあいくらあるの?」って言う世の中になって久しいけど,今後は「〇〇さんはただでやるって言ってるけどお宅に任せたら幾らかくれるの?」って逆に仕事を受けたらお金を要求される時代になったりして.

円が高くなっている理由ってなんだろう?
それは日本がデフレだから.デフレの世の中では時間の経過と共にモノの価値よりもカネの価値のほうが高くなっていく.逆にインフレならカネよりもモノの価値が高くなっていくから同じモノを買うためにカネを多く積まねばならなくなる.デフレの日本の通貨である円にしておけばほっといても円の価値はモノに対して上がっていくのだ.海外の主要通貨の信用は軒並み下がっているから円に買い注文が集中して円は値上がりするっていう構図らしい.

では日本はなぜデフレになっているのか?
昨日の日銀のレポートが的を射た分析をしていると思う.それは日本に成長が期待できないから.将来の日本はもっと悪くなりそうだと皆が思っているので,来るべき冬の時代に備えて当然カネは使わずに貯めておくしかない.カネの流通量は減っていくのである.借金は当然避けるべきとなる.そうなるとカネを預けられた銀行が貸し出すカネの量も減るから預金額+貸出額=流通しているカネも減る.カネの流通量が減るからモノも売れなくなるので安くせざるを得ない.そこに円高で輸入品は安くなるからデフレは渦をまいて進行するのだ.

日本の将来に期待できないからデフレになっているのだから,カネをばらまいたところで貯金に回るだけ.
人が希望を持つことのできる日本の成長戦略が必要だ.
個人のみならず企業も借金せずに現金を蓄えている今の日本に本当に必要なのは,投資しないと損をすると思わせるような新技術や夢.
借金してでも技術開発したいと思えるテーマが日本に必要だ.
そういうモノって既にたくさんあるにちがいない.「はやぶさ」だってそうだ.ボロボロになりながら帰還したハヤブサはNECの開発したイオンエンジンの素晴らしさを世界にアピールするのを飛び越して,感動とドラマを僕らに与えてくれた.

プロジェクトにとりかかる前の段階から実現可能性だとか価値を議論するのも良いけど 若さや無鉄砲さっていうのが今の日本に失われてきているのではないか.
疲れたのでこのへんで今日はおわり.

2010年7月23日金曜日

crystax ndk for windowsのバイナリ

いつの間にかアップロードされてました.
日本時間の正午ではまだwindowsバイナリはなかったから,今日アップロードしたのでしょうね.
Dmitry Moskalchukさん 感謝です.

crystax ndk

私の環境ではどうしてもコンパイルが通らない.
windows用バイナリは131.7MBもあるけど,おとなしくダウンロードして利用させてもらうことにします.

mingw-ndk

OpenCVをAndroid上で使うにはSTLを使えるようにしたNDLが必要.
crystax patchを適応したNDLを入手すればいいのだが,なぜかwindowsバイナリだけpendingとなっている.
仕方なくcygwin上でmakeするも時間を浪費した後,コンパイルエラー.

がっくし

調べたらmingw and ndkというのがgooglecodeにアップされていてそこにはR3とR4のcrystax patchを適応したndkのバイナリがあった.

ちょっとcrystax patchのバージョンが古いみたいだけど,こいつを頂くことにします. 

2010年7月22日木曜日

OpenCV on Android

Android上でOpenCVが動くらしいが,標準のNDKではコンパイルが出来ないらしい.
そこでこいつを入れるのだ
CrystaX. NET Customized Android NDK with enabled support C++ exceptions, RTTI and STL.
でもよく見たら最新のR4BのWindows用バイナリはpendingになっている.
windowsでopencv on androidを試すにはcygwinでコンパイルするしかないようだ

心の風景

誰にしろ心のなかで好きだと思う地域の風景は,
1つや2つあるに違いない.

僕は日本海の海辺の景色が好き.
秋田や青森の西岸に広がる海の景色.
北海道の日本海側の大パノラマ.
北方の日本海の沿岸の景色に弱いのだ 

行ったことはないのだけど天塩の原生花園とか
聞くだけで心が揺さぶられる何かがある.

逆に太平洋沿岸の海は,なんとも感じない.
自分でも理由はわからないのだけど,太平洋に魅力があるかと聞かれれば
明快にないと言える.

日が昇る海と日が沈む海の違いなのか.
それとも自分の記憶にはない幼い日に体験した何らかの出来事が
景色の趣向を決めているのか.

 

2010年7月21日水曜日

Chrome+ScribeFire

最近blogの更新は,ツイッターの自動転送だけとなってしまったが,今日chromeに導入したScribeFireのお手軽さはtwitterを超えるかもしれない.
これならつぶやく代わりにブログの記事を更新する気になるかも

2010年6月15日火曜日

相の沢キャンプ場の花

虫をとりながら草花を撮影してみた.
相の沢キャンプ場に咲く花の代表的なものを撮影できたのではなかろうか.
 

 

 

 
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空を見上げればセミがいた

さっきの続き.
セミが鳴いているらしい樹の下に行き,
4歳の息子とセミの姿を探したら,
いたいた.
急いで写真に収めてから,
ジャンプしながら網ですくったけど
逃げられちゃった.
逃げたセミは大きかった.

 
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相の沢キャンプ場のセミの抜け殻

先週の土曜日,息子と虫取りに相の沢キャンプ場へ行ってきた.
梅雨入りもまだだというのに既にセミの大合唱が始まっていた.
注意深く木の幹を探してみたらやっぱりあった.
セミの抜け殻.
4つほど見つけたのを4歳の息子の手に委ねたら,
喜んで走っりまわったとき,
いつの間にか,中身のない抜け殻は
風で飛んでいったらしい.
光が透けて輝くその抜け殻は,
SF漫画に出てくる作業ロボットのようだ

 
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2010年6月14日月曜日

「はやぶさ」地球へ帰還

あきらめないことの大切さを思い出させてくれた「はやぶさ」に感謝.
運用していた日本の技術陣にも感謝.
「はやぶさ」の地球帰還は,久しぶりに感動させてくれる出来事でした.
私も諦めないでがんばらなきゃならんと思いました.

Youtubeにアップされてたハヤブサと宇宙戦艦ヤマトをコラボした動画.
こういうの好きだなあ.

そういえば新型東北新幹線も「はやぶさ」に決定.
イメージがダブりそう.

2010年6月1日火曜日

相の沢養魚場

その存在を知ってはいても入る勇気がなくて行けないところってあります.
私にとってのその1つがついにベールを脱ぎました.
それが相の沢養魚場.

相の沢牧場前にある釣り堀なのですが,入り口が寂しすぎることと釣り堀の様子が全く見えないので興味はあってもこれまで入れませんでした.
ところが最近カミさんが幼稚園のお友達のお母さんから格安の釣り堀がある情報を聞いてきまして,その場所がどうやら私が気になっていた釣り堀のようだったので今回思い切って行ってきました.
釣り堀の立て看板を目印に砂利道へ入ると車で3分ぐらい走った奥に釣り堀がありました.
結構賑わっておりました.

ここの魅力は,なんといっても価格とシステムが良心的なこと.
釣竿1本100円,餌100円.
私たちは4匹魚を釣って700グラムぐらいだったですが塩焼きに加工してもらって1100円程度.
1匹当たり約300円にて釣りから料理までしてくれるところを私は他に知りません.
料金を気にせず本気で楽しめます.
魚はヤマメ・イワナ・ニジマス.

気さくなおば様たちが釣り上げられた魚たちをさばいて串焼にしておりました.
私が釣ったのはニジマス4匹.ヤマメ釣りにもチャレンジしましたが100円で買った練り餌には興味を示してくれず,残念ながらヤマメを頂くことは出来ませんでした.
私の向かいにいた親子は20匹ぐらいつっていたかなあ.

釣ったニジマスの塩焼きが美味しくてびっくりしました.
大げさに聞こえると思いますが他店のイワナ並の味です.
また塩焼きの魚と共にキュウリの漬物がついており,これがまた格別の味でございました.
今度は竿と餌を持参してヤマメ釣りにリベンジします.

小岩井農場 カサ・デ・プラド

29日土曜日の昼,学生時代お世話になった先輩と13年ぶりにお会いするため待ち合わせ場所の小岩井農場に行ってまいりました.

長い時間を隔てていたにも関わらず,先輩の風貌は以前と変わらなかくて,つい最近も会っていたような錯覚を覚るほど.

昼食を一緒にということで,一緒に向かった先は小岩井農場内にある「カサ・デ・プラド」というレストラン.<

実は,カミさんと一緒に小岩井へ来たとき何度かこの前を通り過ぎたことはあっても入ったことはなかったのです.
今回,ここで「タンシチューセット」を先輩よりおごって頂いてしまいました.(先輩!ゴチソーサマデシタ)



お店も落ち着いた雰囲気.
じっくり煮込まれたタンは素晴らしいお味でございました.
ゆったりと小岩井の空気を吸いながらランチを楽しむのに最高の場所だと思います.


先輩との話は,近況の事とか社会に出てから色々あったこととか.
流れる時間はあっという間でした.

ロビーの窓の外にはSLホテルが見えました.

近いうちの再開を誓い,先輩とお別れしました.
帰りの車中に,若かりし日を共有する人って人生の財産なんだなって思いました.

2010年5月27日木曜日

親の姿

子供を幼稚園に通わせるようになって1年半
朝 幼稚園バスの待ち合わせ場所に行く時,
あるいは 幼稚園に迎えに行く時,
同じ園に通う子どもたちの親の姿を見る.

いつも笑顔を振りまいている親もいれば
いつもイライラしている親もいる
挨拶を交わすとき,清々しい気分になる親もいれば
うつむいたまま会釈をする親もいる

いろんな親がいて,その人となりを垣間見るとき
その家庭はどんな様子なんだろうとか
心の中で半ばオートマチックに想像される.

いろんな様子の親子とすれ違うとき,
不安な気持ちが
心をよぎるときもある

でも,その親と一緒にいる小さな子どもたちが
なんとなくいい顔をしているならば
ホッと救われた気持ちになる
そんな瞬間がある

一方で,,
他の親子を見ながら,
心の内面において 
自分はどんな親であって,
我が子たちは どんな風に育っているのか
考えるのである

すれちがう他の親子を見ながら
それが鏡のようになって
そこに投影される
自分たち親子の姿を見ている

そんな時もある

2010年5月26日水曜日

車載カメラ画像をアップロード

昨夜,会社から帰るとき AGFA DC-1033sをフロントガラス直下に固定して運転シーンを10分ほど撮影してみました.
会社のある滝沢村巣子から盛岡市青山の旧シティー青山付近までとなっています.
雨は降っていませんでしたが風が強い夜でした.
なんとなくドライブした気分になります.

2010年5月25日火曜日

いわてこどもの森おもちゃ湯改装

先週の土曜日いわて子どもの森へ行ってきました.
何度も行っているけど 子どもたちにとって飽きない場所らしい.

春に部分改装したらしく,銭湯をモチーフにした遊び場「おもちゃ湯」が一段とリアルな銭湯に改装されていた.


壁には富士山みたいな山が描かれているのだけど,しばらく居座っていたら突然噴火!

最近プロジェクターをつかったアートが流行っていると聞いていたけど ここで見るとは予想しませんでした.

いわて銀河鉄道の運転台

車掌室の真後ろに立つことができたので普段見ることのできない装置を撮影してみた.
まずこれは車掌室の天井付近にあるスイッチ群.
「キハ112-114」っていう機種名みたいなのが見える.


続いて運転台.レバーを運転手さんが操作しているのが見えます.


この日は研修?か何かでワンマン列車に3人の車掌さん達が同乗していました.

初Youtube投稿 いわて銀河鉄道 盛岡駅着

今更ですが初めてYoutubeに動画を投稿しました.
先日の出張の際に乗ったいわて銀河鉄道の盛岡駅に到着する直前の動画です.
手持ちのトイデジで撮影しました.
逆光で車掌室内が暗いのがチョット残念です.

2010年5月24日月曜日

滝沢村巣子の由来

先日久しぶりにいわて銀河鉄道沿線の駅である「巣子駅」を利用した.
私の務める会社から最も近い駅が「巣子駅」なのである.
もちろん会社の住所も「岩手県岩手郡滝沢村滝沢字巣子」である.
この巣子駅の敷地内に巣子という地名の由来を説明する立て看板が設置されていた.

書いてある言葉をキータイプ練習をかねて以下に活字に起こしてみた.

「巣子(すご)」
江戸時代,南部藩主は岩手山麓の滝沢村に鷹狩にしばしばやってきている.
鷹狩をするには飼い慣らした鷹が必要であった.
藩では毎年,鷹の雌雛を捕るためにこの地にやってきた.
巣の子を捕る郷から「巣郷」と呼ばれた.
その後「巣子」になっている.

「狼久保(おいのくぼ)」
江戸自体,狼が常に生息して巣を作った穴がたくさんあったことから「狼久保」と呼ばれた.
昔,滝沢の野には,鹿のほか猪・狼など住んでおり人々は狼被害に悩まされていた.

「葉の木沢山(はのきさわやま)」
榛(はん)の木が密集していたことから「榛の木沢」とか「葉ノ木沢」と呼ばれた.

「明神平(みょうじんだいら)」
川沿いに,農神・明神さんを祀っている神があったことから「明神平」と呼ばれた.
「稲荷」は「明神」とも呼ばれていた.「稲魂尊(うけのみたまのみこ)を祀り川沿いや清水が湧き出るところに祀られていた.

「妻の神(さいのかみ)」
女の人がなくなって,その例を慰める神を祀ったことから,また鉄道工事で亡くなった人を弔うために祀った神から「妻の神」と呼ばれた.

「松屋敷(まつやしき)」
康平5年(1062年)前九年合戦で厨川柵に阿部一族がいたとき,婦女子を住まわせた屋敷がこの地にあって,婦女子が貞任が帰ってくるのを待っていた屋敷が「侍屋敷」と呼ばれ,後に「松屋敷」と呼ばれた.
そのころ「松屋敷」と「安倍館」の間を船で往来したといわれている.
アイヌ語ではマツは女性のことである.現在はこの地域の大半は水没している.

2010-05-22



玉山芋田のA社盛岡工場跡地のグラウンドに新たな建家を建設中の様子.
鉄骨を組んでいた.

2010年4月26日月曜日

出勤途中に感じる春の息吹

今朝の出勤途上,日差しに岩手山の雪渓がキラキラ加害やていたので,
岩手牧場の入り口で車を止めて,岩手山を撮影しました

岩手牧場付近の桜は,まだつぼみ.でもすこし花びらが膨らんできています

足元にはアカザが生えていました

スイセン?の花もちらほら

ところで岩手牧場の入り口には,関係者以外立入禁止の立て看板があります.
これです

だから,ここから先へと足を踏み入れたことがないのですが,そのすぐそばにある立て看板の内容をじっくりと読んでみると...

どうやら黄色と緑の区画は入場して良いようです.
桜の木がたくさん植えてあるし,とても空気も良いし,眺めも最高だと思うのですが,実態がわからないから入りにくいですね...
「虎穴に入らずんば虎子を得ず」か..

2010年4月11日日曜日

散歩をしに雫石のファミリーランドへ出かけてみたら春の息吹がちらほら.
写真をよくみたらアリが花の蜜を吸っている.
桜の芽は,まだまだ堅かった
送信者 岩手の風景

2010年4月6日火曜日

東京の桜

送信者 出張の風景
北国に住むものにとって春に南方へ出張することは、
時間を先取りしたかのような錯覚を覚えるものだ.

ほろ酔い気分で見上げた夜空には、桜が満開だった.
盛岡にはまだ咲かぬ桜が、殺伐とした都会を彩る.

昨日、たかが1泊2日の出張に出かける私を前に
4歳の息子は涙をながして大泣きした.
家族が共に生活することのありがたみとか、
変化のない日常の意識の表層に上がってこない事柄に
非日常にあってはじめてその価値を知ることって多い.

私の意識は、変化のあることには敏感であるが、
変化のない事象の多くについて、
その存在すら忘れていることに気付かされるのだ.

たとえ意識の有無によって かかる事柄の運命に
直接の影響を与えることができないとしたとしても、
それを認知して感謝していくことって、
とても大切なことなんだとしみじみ思う.

盛岡には夜7時過ぎ帰る予定だ.
家に待つ息子と娘には、何かおみやげを買って帰りたいと思う.

2010年3月30日火曜日

なすべきこと

12年前に私は就職した.
今気付いたが就職した年も寅だったのだ.
そうだ私の生まれ年も寅だ.

ところで,最近の寅年について調べてみると景気が悪かったらしいことがわかる.

1974年はオイルショック
1986年は円高不景気
1998年はアジア通貨危機

私が社会人となった98年は就職氷河期といわれ始めた頃だろうと思う.
成績が悪くて留年した私は別として就職ができなくて留年を決めた友人がいた.
いつしか団塊ジュニアはロストジェネレーションとかマスコミが名前をつけられた.


1年半前頃から,年配の方に会うときにはリーマンショックによる景気悪化について過去との比較について尋ねることにしているのだけど,最初のころは「オイルショック」の方がまだ凄かったとおっしゃる方が多かったが,半年前からはこんなに悪い景気は経験がないと聞く機会が多くなった.50歳代の方もおっしゃるのだから戦後の日本が経験したことのない不景気なのだろう.(最大の不景気は敗戦直後であったことは言うまでもない)

2010年の4月を目前にした今,世界的にみるとそろそろ回復基調らしいが,景気が回復した状態となったからといっても,かつての日本の好景気といわれる状況に戻ることを意味するとも思えない.
例えば日本の産業の要と言われる製造業であるが,日本で単一製品を大量に作って売る時代が再びやってくるだろうか?日本で作るより安い国がある限り,再び日本で量産することは特殊なケースを除いてありえないだろう.

作るものの仕様がグローバル化していることも過去とは大きく違うことだ.昔は各社各様に独自の仕様でメカを作り基板を作りソフトを作った.だから性能に多くの差が生まれ独自性を出すことができた.日本の大手製造メーカが競い合って同じカテゴリーの製品がそれぞれ売れていたのも独自性を出しやすかったからだと私は思う.

今はどうだろう?仕様は世界標準となって,独自性を生み出すのは上っ面のデザインだけ.パソコンが代表例だと思う.どこの会社製品を選んだって結局性能をきめるのはIntelかAMDでありメモリ容量である.性能を表す数字と記号と価格だけが購入の決め手となる.Made in japanにもはや意味はない.

またパソコンや携帯電話が汎用性をもっているので従来個別の機能を持つ製品を購入する必要があったニーズを駆逐してしまった.

2年前SONYとAppleの財務指標を比較したWeb記事がある.
http://diamond.jp/series/it_biz_dw/10004/
今この差はさらに開きつつあるのではないか

仕様がグローバル化した今,製造業に携わる者たちが生き残るためには何をすればいいのだろう?
大中小問わず日本の国中の製造業種に属する企業内で管理職の人々は毎日唸って考えているに違いない.

私は製造小企業に所属するのだが,よく解説者的な人間が「中小企業はニッチなものをやるべきだ」という.
けれど,ニッチなものは需要がついてこないので現実には稼ぎにならない.
生き残るためには多数の賛同者が得られるだれしもが欲するものを提供しなければならない.
ニッチではなくて潜在的な需要を発掘することが必要なのだ.
今はないが それを提案したらほしくてたまらないもの.

そう考えれば 何をなすべきか頭がすっきりしてくる気がする.

2010年3月26日金曜日

禁煙2年

私はタバコをやめて今年の3月で2年目となった.
18歳になって大学生となった4月ころからタバコをすいはじめた.
当時 自啓寮という男子寮に住んでいた私は北寮11室に暮らした.
大学生になると新歓コンパという飲み会がひんぱんにあり、
そのうちに酔った勢いでタバコをすいはじめたのだとおもう.
タバコを初めた頃、吸い込む度に目が回るようなかんじと酔ったような陶酔感があったのを覚えている.
しかしその感覚も長続きせず、いつしかヤニ切れの度に火をつけることを繰り返す毎日となった.

私が吸っていたのはセブンスター.
就職後はメカを動かすプログラムを作る仕事をしていたのだが、仕様どおりに動かないときなど、すぐに喫煙室に行ってはタバコをふかした.
前の会社を辞めて、今の会社を起業した当時、全社員が(といっても2人だが)喫煙者だったのでパソコン見ながらタバコを吸っていた.
ソフト開発とタバコは相性が良くて本数が進むように思う.
客先に電話をかける前など、一本吸ってからとか、コンパイル中の時間に一本とか、原因不明のバグがなかなか解決しない時は徹夜のお供にコーヒーとタバコを交互に嗜んだ.
今考えるとぞっとするが、飲み会の日などは、2箱以上吸っていた.
二日酔いとタバコのすいすぎによる気持ち悪さのダブルパンチは喫煙者ならだれもが経験済みのはず.

2年前、大事な人があいついで2人亡くなった.
2人は、いつもタバコをよく吸っていた.
1人は私の伯父.咽頭ガンだった.
成人してからは、あまり接点がなかったが 幼少の頃 よく遊んでもらった記憶がある.
もう1人は、幼い頃からよく知る父の友人.肺がんだった.
日常に接点のない2人の死であったのだけれど、私は相当なショックを受けた.
幼い記憶にいる人が亡くなることを期に、何度も心の中で思い出がオートマチックに反芻された.

私は2人に禁煙を助けてもらったのだと信じている.
幾度も失敗した禁煙だったのに、2年前からピタリとやめることができた.
禁煙ガムを1週間分買ったのだけど3日くらいで不要になった.
そしてまもなく体は軽くなって、イガイガもとれた.
仕事でお客さんと酒をともにすることも多く、多くは喫煙者だったので禁煙したことを言うのに恥ずかしさとためらいがあったのだけど思い切って「やめました」宣言をした.
皆さん「えっ!ヘビースモーカーのあなたが」と驚いていたが嫌味も言わず見守ってくれた.
いい人たちに囲まれていたのだと思う.
そのうち妻がいつもクレームをつけていたタバコ臭さというものが分かるようになった.

毎日の習慣がなくなるというのは不思議なことだ.
18歳から15年にわたて吸いつづけたタバコの臭いがくさくてたまらない.
タバコを辞めたかわりに体重が増えた.
辞める前の体重は、58キロだった.身長は168センチほどなので軽い部類だと思う.
現在は63キロ.
タバコを吸っていたときは昼飯を抜いても平気だったが、今では不可能だ.
腹が減っては戦はできないというのは本当だと思うようになった.
タバコが体に悪いのはニコチンだけじゃなくてタバコを吸うことによって食欲が減退することとかも関係があるのだと私はつくづく思う.

2010年3月25日木曜日


送信者 岩手山

子供のころを振り返ると,よく大人は,山を眺めていたように思う.

「あれが 岩手山だ」とか

「今日も十勝岳はよく見えるとか」

「旭岳が白くなった」とか

大人は山をみて そういった

でも 子供の私は,山を見たって面白くもなんともなかった

それは山がいつも同じに見えたから.

ちょっと白くなったって,

紅葉に赤くなったって,興味はあまりわかなかった.


そして いつしか自分が大人になった

山を見ると思いだす

勤務先の工場の窓から見た岩手山

学校の屋上から見た岩手山

友人と上った岩手山

夕日に赤く染まる岩手山

いつも山は,そこにあった

山をみると不思議と過去を思い出す.

だれから「山のないところには暮らしたくない」と言っていたけど

その通りだと つくづく思う.

2010年3月24日水曜日

Pythonで非線形最適化計算する

私自身がPythonを便利に思って重点的に利用させてもらっている技術分野は,科学技術計算とUSBやシリアルなどとの通信に関するもの.

特にお世話になっている最適化計算についてちょっとご紹介.

最適化で使っているパッケージは, scipy.
他に Numericが必要.

excel等で近似多項式を求める事が出来るけど,奇数次数のみの多項式に
フィットさせるなどは不可能.

そういうときにPythonの scipyは便利.
次のスクリプトは9次項までの奇数次数のみの多項式へのフィッティングを行うもの.
私は魚眼カメラの射影式を扱うとき重宝している.

import scipy
import scipy.optimize
import Numeric as n

def func(p, x):
k1,k2,k3,k4,k5 = p
p0=[k5,0.,k4,0.,k3,0.,k2,0.,k1,0.]
return scipy.polyval(p0, x)

def residue(p,y,x,sigma):
#print "residual_func ", y, x
err = y - func(p, x)
#print "error ", err
return err

def fitting(x, y):
sigma = 0
r = scipy.optimize.leastsq(
residue,
[1.0,0,0,0,0],args=(y, x, sigma), full_output=1, ftol=1e-32, xtol=1e-32, maxfev=10000)
return r[0].tolist()

if __name__== '__main__':
sample = n.array([
0.16581,0.128181366,
0.33161,0.258930716,
0.49742,0.393306338,
0.66323,0.530482793,
0.82903,0.666571512,
0.99484,0.793397256,
1.16064,0.899001855,
1.32645,0.970166103,
1.49226,0.99910374,
1.65806,0.991575672])

xy = n.reshape(sample, (10,2))
x = xy[:,0]
y = xy[:,1]
optimized_parameter = fitting(x, y)

print optimized_parameter

scipy.optimize.leastsqは minpackを移植したもののようである.
Levenberg-Marquardt法を用いた最適化をお手軽に行うにはもってこいだと思う.

2010年3月23日火曜日

妄想と夢

今日も意味もなく深夜まで起きている.
やるべきことはあるが手につかない.

やるべき事柄に取り掛かるには,今日も気持ちがついていかない.

けれど,やらなきゃという焦燥感がある.
それが,床に就くという意思を妨げている.

しかし結局,寝る時間を惜しんでやっていることはブログの更新.
ちょっと悲しい.


この時間に至る数時間もブラウザを見つめる空虚な時間.

未読のRSSを開いて過ごしたあほらしい時の流れに虚無感を禁じえない.

しかし,素晴らしい記事があるのではないかという期待感が
絶えず未読のRSSを開き続けさせる欲望の源泉となっている.


自分がブログの書き手となって読み手の期待にこたえるような記事を
書くことができれば,それによって得られる自己満足によって
読み手となる時間が減ることもあるかもしれない.

だが,長い文章を書くことが得意とも言い難く,
このようにブログを書く時間は 読む時間よりは苦痛といってよい.

書く時間が苦しいのになぜ書くかと言えば,書いた後の達成感と
読み手がいるに違いないという希望と読み手が喜んでくれる
かもしれないという期待感があるからだと思う.

したがって,今私が起きてこの文章を書いているこの行動の源泉は,
私の妄想にあるといっていい.

このブログのテーマをまだ決めていない.
だから 毎回書くことに毎回困っている.

タイトルは,「AXIS OF FISH-EYE」であるが,
実はこれにはあまり深い意味はない.

「妄想」 ちょっといいキーワードを見つけた気がする.


今日,子供たちにみつばちマーヤの絵本を読み聞かせた.

マーヤは,スズメバチにつかまってスズメバチによる
ミツバチの巣の襲撃計画を知り,牢から間一髪逃れ,
仲間に危機を知らせた.

子供たちは蜂になった夢を見ているだろうか?
夢の中でマーヤと一緒にスズメバチと戦っているだろうか?

そういえば私は,この頃夢を見ていない.
起きているときの焦燥感や先行きへの不安ばかり.

これは,妄想だと今思う.

そろそろ寝る.

2010年3月19日金曜日

イルカと食事

日本人によるイルカの屠殺を批評するコーブという映画がアメリカのアカデミー賞をとったことが話題になっている.

もともとアカデミー賞自体、クローズドな評価体制の中で勝手に賞をあげているものだから何を選ぼうと興味もないところだが、コーブの監督のインタビュー記事が気なった.

イルカ映画「ザ・コーヴ」監督の最大の矛盾とは何か

監督の主張は、「高い知能を持っているイルカを食べることは問題だ」ということらしい.

イルカが高い知能を持っているかどうか私は知らない.

そもそも私はイルカを食べたこともない.

もし、居酒屋でイルカ料理が出たら興味本位で食べることはあるかもしれないが積極的食べようとは思わない立場の日本人だ.

しかし、コーブの監督の主張は、なんとなく気に入らない.

仮にイルカの知能が高いとしてそれを食することに如何なる問題があるのだろう.

先程のリンク先で解説者が論ずるように、知能が高いからといって食べることに関する道徳上の問題を導出可能とは私も思わない.

そもそも食べる対象の知能に関して我々がどれだけ認知しているのかさえ疑問だ.

彼らが屠殺を容認する牛や豚も最近の研究により予想以上に知能が高いことがわかってきたという話もある.

以前 私が英国人と2・3年仕事をしていたときのことだ.

居酒屋で馬刺しを注文した私を、彼女は睨みつけてこう言った.「なぜ 他に食べ物があるのに わざわざ馬を食べるのだ?」

それに対する私の答えは単純だった「うまいからだ」

コーブの監督の主張は、これに通ずるものがあるように感ずる.

他に食べ物があるのに、わざわざ人に懐く愛らしいイルカを食べることに抵抗感を持っているのだろうと思う.

その抵抗感を単純に訴えるならば、分からないでもないが、知能指数うんたらを出して偉そうに話すからワケが分からないのだ.

犬や猫を食べる国の話を聞いたことがあるが、この風習に私は嫌悪感を感じる.コーブの監督は犬も食べないだろうから犬猫に関してその点は監督に同意できるのだ.

我々になつく動物を殺すのは心の痛みが伴う.こんな話を聞いたことがある.

よくお祭りなどで 着色したヒヨコを売っているが、これを買った小学生の友人は、マメに世話をし いつかヒヨコは立派なニワトリとなった.

ある日学校が終わり家族と夕食を囲んだとき、その日の晩飯は鍋だった.友人は母親に「この鶏肉すごくおいしいね?」と言ったら、「ああ お前のピーちゃんだよ」といわれて無言で泣きながら完食したそうだ.

育てて自分になついたニワトリのピーちゃんの肉を食べさせてもらって、その引換に私は生きていると考えるならその生命を無駄にはできない.この論理に間違いはないと私も思う.

コーブの監督は屠殺場で殺される牛を見て肉を食べられなくなったそうだが、それは我々の命が他者の痛みと引き換えにある現実を受け入れることができていないことを意味しているのではないか?

知能指数があろうがなかろうが、神経があって痛みを認知しようがしまいが、食べる対象の命をいただいている.我々にできる最大の道徳は、残さず食べることではないか?

コーブの監督は、イルカの命を大切におもうなら、屠殺後に肉となったイルカが食卓に上がって食べられて行く過程に着目するべきだろう.

知能が高いというイルカが痛みを伴って差し出したイルカ肉が残さず食べられたかが、道徳上の最大の問題となると私は思うのである.

2010年3月18日木曜日

X6HR-python公開

数年前に買ったSUUNTO X6HRT用のpythonモジュールをgithubに公開しました.

X6HR-python

このブログにもSUUNTOのページつけました.そこからもたどれます.

そもそも SUUNTOの時計が世の中にあまり普及していないような気がするので
公開しても社会貢献度ゼロのような気も...

↓スント社の製品ページ
http://www.suunto.com/en/Products/Outdoor_Sports_Instruments/Suunto-X6HR1/Suunto-X6HR/

↓詳しいユーザ解説サイト
http://yamatabi.que.ne.jp/bike/hr/index.html

X6HRは,映画「エイリアンvsプレデター」のヒロインが南極でつけていた心拍数とかコンパスが内蔵の腕時計であります.