2011年7月20日水曜日

キーボードと万年筆

初めてパソコンのキーボードに触れた中学2年生の頃から
文章を書く時は,キーボードを通じてテキストを入力してきた.
14歳の頃から打ってきたこともあって,結構キーボードは
早撃ちできる方ではないかと思ったりもする.

けど,文章を書いてやろうとキーボードに手を置いても
スラスラ文章を思い浮かべて入力できるかというと,そうでもない.
キーボードで言葉を入力しては,消してまた入力の繰り返し.
消せるから,紡ぐ言葉に覚悟がないのだと思う.

2週間ほど前に,机の掃除をしてたら安物の万年筆を見つけた.
きっとなんかの入学記念とかでもらったものだと思う.
赤いペンだったから,自分がもらったんじゃなくてカミサンが
もらったものかも知れない.
軽い気持ちで手にとって,いつも持ち歩いているペンケースに入れ,
先日 仕事でメモを取るのに使ってみたら,なんだか気持ちよく字が書けた.

いつも使っているボールペンよりも,万年筆のインクは,
もっと濃くて深い黒で,なめらかに書けると感じる.
力をいれれば,加減に応じて毛筆のように太さが変わって
メリハリの効いた字が書ける気がするのだ.

「万年筆でメモをとっていると気持ちがいい」
字を書くのが楽しくなった.

1週間ほど使っている間にすっかり万年筆が気に入って,
少し太めの中国製の安物万年筆をヤフオクで買った.
値段は430円.でもコンバータ方式になっていて,
ボトルのインクから補充できたり,重量感もあってあなどれない.
ちなみに定価は3800円とあった.本当か嘘かはわからない.

この新調した安物万年筆は,使いきりのボールペンなどよりも
かなりインクが多く出るようだ.
補充してもノートを4ページ程度書いているとコンバータの
インクはすっかり無くなって,すぐに補充する必要がある.
だからといってインクが出すぎて字がにじむということもない.

インクの減りが早いことは,私にはメリットに思えてならない.
インクが無くなるほど書いたという充足感がたまらなく心地いい.
もうこんなに書いたのかと,減ったインクを眺めながら
コンバータにインクボトルから新しいインクを吸わせて満たす.
インクが満タンになったら心も満タンになったような満足感.
再び万年筆を走らせたくなる.

文章を書くなら,キーボード入力しようが,ノートに鉛筆で書こうが
万年筆で書こうが,出来上がるものは同じであると私はこれまで
信じて疑わなかった気がする.これは間違いだったと気付かされた.
文章を書くという行為は,書くときの気分にずいぶん左右される作業だ.
もし書くことが一字一句決まっているなら同じかも知れないが,
少なくとも今の私は,万年筆を持って文章を書こうとする時と,
キーボードに手をおいた時の文を書く楽しさは確かに大きく違う.

一字一句を頭に思い浮かべて,字を思い起こしながら,万年筆を紙に走らせ
紙に載ったインクの乾き具合をみて,減っていくインクの量を実感しつつ
うまく書けた字を眺め,万年筆を引き続き走らせていく昔ながらの行為は,
その瞬間瞬間に思い通りにいったとか,ちょっと失敗したとか,
心のなかでの応答があって,それが心地良さとなっている.
書く行為そのもので新たな言葉が浮かんでくる気がする.

効率と便利を追求するなら,圧倒的にキーボードを通じて
電子的なテキストにしたほうが時間も短縮できて効率も
よいだろうが,それは 楽しくないと思うようになった.

ただし,人に読んでもらう様な文章を書くには,一発で仕上げることなど
私にはできそうもないので,この文章を書いている今はキーボードを叩いている.

もっぱら万年筆が活躍するのは,自分しか読むことのない,
仕事のメモと日記だけになりそうだ.