2015年7月14日火曜日

スロープ

私は今40歳。
1974年に生まれて今年の誕生日を迎えると41歳になる。
年をとっても自分の本質は変わらないと思い込んでいたけど、実際はそうでもない。どうもこの頃は、肉体的にも疲れやすくなったし、精神的にも弱くなった。

私はこんなに弱かったっけ?って自分が首をかしげたくなる程に今の私は弱くなったんだなあ。
以前もそんなに強かったわけじゃないけど、どうにも譲れないこだわりがあって私は少なくとも頑固で、人の言うことを聞かないタイプだった。
こだわりを実現するためには、いつも時間を忘れてた。

今時分の思いと現実とのギャップは大きく乖離してて、頭に描く成果に対して現実はなんと貧相なことか。
もっと自分は戦えるはずじゃなかっただろうかって思うんだけど、疲れたし眠いし、もう動けない。
自分の思いと現実のギャップを認めたくなくて、目を背けたくなるんですな。もっとできるはずだと。

でも仕方ないと諦めて、地道にやるしかないんだけど。
いい加減、心の底から諦めて今の現実を受け入れないと、精神的に参ってしまいそう。
どうも自分が弱り気味なのに気づいているので、もう休日は仕事のことを考えないようにしてすっかり忘れて子どもたちに向きあう時間を作ったりなどしてると、ちょうど自分がモノごごろついて自我が芽生えた時期と息子の様子が重なって、自然と昔を思い出すことが多くなった。

今の息子と同じ年の頃は、ちょうど北海道旭川市の春光町というところに住んでいて、学校帰りに春光園という池のある公園でよく遊んだ。
初夏の頃からだろうか、春光町の西の方角に通称「スロープ」と呼ばれる崖があって、友達とよく自転車で出かけた。

赤土がむき出しの崖には、ところどころに湧き水が流れ出てていて、小さい流れなのだけど崖を侵食している場所があった。赤土は、湧き水の流れているところだけ谷になっていて、水の流れる溝には落ち葉なんかが溜まっていたりしてたけど、よく透き通った水は夏の日差しの下には心地よかった。

小学生の私や友達は誰に教えてもらったかは思い出せないけど、その湧き水の流れに、周りか集めた決めの細かい灰色の粘土っぽい土などでダムや水路を作って、よく遊んだものだ。上流で水をためては放水したり、粘土でつくった迷路のような水路の上に水を導水したりした。
気がついたらいつも5時過ぎにのサイレンだったかチャイムを聞いては、まだ名残惜しい気持ちをこらえて家へ自転車を走らせたものだ。

時は流れて40歳になった私が、作っては壊してうんざりしているのはコンピュータの中を流れるフローを、粘土じゃないけど相変わらず今もコネコネしているんじゃないかと思ったら、なんだか力が湧いてきた。自分自身でさえ、やる気を引き出すのは、つくづく難しいものだなあ。

バイパスできたのでスロープは潰れただろうと思っていたのですが、Googleマップの航空写真を確認したら今もありました。スロープの下をパイパスが通る構造にしたんですねえ。