2010年4月6日火曜日

東京の桜

送信者 出張の風景
北国に住むものにとって春に南方へ出張することは、
時間を先取りしたかのような錯覚を覚えるものだ.

ほろ酔い気分で見上げた夜空には、桜が満開だった.
盛岡にはまだ咲かぬ桜が、殺伐とした都会を彩る.

昨日、たかが1泊2日の出張に出かける私を前に
4歳の息子は涙をながして大泣きした.
家族が共に生活することのありがたみとか、
変化のない日常の意識の表層に上がってこない事柄に
非日常にあってはじめてその価値を知ることって多い.

私の意識は、変化のあることには敏感であるが、
変化のない事象の多くについて、
その存在すら忘れていることに気付かされるのだ.

たとえ意識の有無によって かかる事柄の運命に
直接の影響を与えることができないとしたとしても、
それを認知して感謝していくことって、
とても大切なことなんだとしみじみ思う.

盛岡には夜7時過ぎ帰る予定だ.
家に待つ息子と娘には、何かおみやげを買って帰りたいと思う.