2010年5月24日月曜日

滝沢村巣子の由来

先日久しぶりにいわて銀河鉄道沿線の駅である「巣子駅」を利用した.
私の務める会社から最も近い駅が「巣子駅」なのである.
もちろん会社の住所も「岩手県岩手郡滝沢村滝沢字巣子」である.
この巣子駅の敷地内に巣子という地名の由来を説明する立て看板が設置されていた.

書いてある言葉をキータイプ練習をかねて以下に活字に起こしてみた.

「巣子(すご)」
江戸時代,南部藩主は岩手山麓の滝沢村に鷹狩にしばしばやってきている.
鷹狩をするには飼い慣らした鷹が必要であった.
藩では毎年,鷹の雌雛を捕るためにこの地にやってきた.
巣の子を捕る郷から「巣郷」と呼ばれた.
その後「巣子」になっている.

「狼久保(おいのくぼ)」
江戸自体,狼が常に生息して巣を作った穴がたくさんあったことから「狼久保」と呼ばれた.
昔,滝沢の野には,鹿のほか猪・狼など住んでおり人々は狼被害に悩まされていた.

「葉の木沢山(はのきさわやま)」
榛(はん)の木が密集していたことから「榛の木沢」とか「葉ノ木沢」と呼ばれた.

「明神平(みょうじんだいら)」
川沿いに,農神・明神さんを祀っている神があったことから「明神平」と呼ばれた.
「稲荷」は「明神」とも呼ばれていた.「稲魂尊(うけのみたまのみこ)を祀り川沿いや清水が湧き出るところに祀られていた.

「妻の神(さいのかみ)」
女の人がなくなって,その例を慰める神を祀ったことから,また鉄道工事で亡くなった人を弔うために祀った神から「妻の神」と呼ばれた.

「松屋敷(まつやしき)」
康平5年(1062年)前九年合戦で厨川柵に阿部一族がいたとき,婦女子を住まわせた屋敷がこの地にあって,婦女子が貞任が帰ってくるのを待っていた屋敷が「侍屋敷」と呼ばれ,後に「松屋敷」と呼ばれた.
そのころ「松屋敷」と「安倍館」の間を船で往来したといわれている.
アイヌ語ではマツは女性のことである.現在はこの地域の大半は水没している.