2010年12月7日火曜日

ムネオ氏が収監された日

1週間ほど前読んだ本「獄中記」佐藤優著.
中身の紹介はアマゾンに譲るが
600ページにも及ぶ大作にも関わらず
またもう一度読み返したくなる一冊である.

とても日記とは思えない緻密な内容.
生きることの意義まで考えさせられてしまうのである.

昨日,鈴木宗男氏が収監された.
佐藤優氏にとってもひとつの区切りとなる日であったに違いない

佐藤優氏と鈴木宗男氏.
小泉政権下において連日マスコミは
日本に蝕む古い政治の暗部が
さも2人に集約されているかのような
扱いでドラマチックに報じた.

彼らの人物像.日常.思考が見えぬまま
悪人であるイメージが刷り込まれていたのだと
今まさに思う.

なにか直接は目には見えぬ存在があって,
時代は,あの時,二人を生贄にした.
そして歴史は動いていたのだと,
今さら気付かされるのです.

歴史が動いた瞬間にい合わせても,
その事に気づくのは後の事.
そのことを事実として受け止めねばならないのだと
この頃思うのです.

時間には2つの種類があって
それは日常のような連続液な時間と
大きな出来事が記念碑としてそびえ立つ断絶された時間.

国家による暴力と無縁であると信じていた日本が
我々から直接見えない存在によって
確かに意志をもって
人を利用し,あるいは排除して
ある方向へと動いているように見える

共産主義国家の衰退した今.
それは資本主義国家のめざましき発展と
摩擦による不快なきしみの生じた
80年前と類似しているのかもしれない.

時代が繰り返すというなら
1930年代にあった帝国主義の防衛が
形を変えて今まさに甦ろうとしている.
そんな時代の瞬間に居合わせているのかもしれない

鈴木宗男氏の収監.
彼を排除した目に見えぬ意志は,
政権の交代によって
果たして断絶したのだろうか.