2011年11月1日火曜日

堂々巡り

もう11月かとため息が思わず出てしまった.
確かに空気は,冷たくなって上着が必要なった.
庭のドウダンツツジは,去年よりも赤く染まった.

7月から書き始めた日記帳の1ヶ月前,
2ヶ月前,3ヶ月前と振り返ってみると,
あっという間に過ぎ去ったような時間は,
それなりの厚みを持っていることを知る.

この11月の1ヶ月間もまた,
矢のように過ぎ去ることだろうが
今,予想もしない事が起こる1ヶ月になるのかも知れないし
何事もない普通の1ヶ月かも知れない.

平穏無事を願った今年の正月に,
たとえ今年あった出来事や状況を夢に見たとしても,そ
れが現実の未来だと信じることができただろうか.

今ものすごい勢いで世の中がマイナスの渦に
引きこまれて,奈落のそこへ落ちていくような
状態にあるように思えてならない.
磁石が引き合い距離が短くなるほど
ますます,力強く引きあうように
状況は,どんどん悪い方へ加速度的に
引き寄せられていくのではないか

などと,悲観的に考える一方で,
なんとかなると楽観的になる自分もいる.
優れた人達が切磋琢磨する日本が,
必ず再起動すると信じている自分がいる.

結局は,中途半端な知識による不安と
根拠のない安心感のバランスで
私は精神の安定を保っているのか.

そして,考えの息つく先が全て無意味に感じる時,
虚無感が私を絡めとる.
生きる意味を失いかねないブラックホール.

痛みの感覚が与えられたのは,
希望を失いかけた時でも
生き続けられるようにだろうか.
その痛みを知る時,生きる道を諦めた
罰を与えられたということか.

だんだんと考えるのがめんどくさくなって,
肥えた腹は,グーと鳴り,
食欲に私は命ぜられ,だるい体を持ち上げる.

生きる喜びとは欲を満たすことだろうか.
人と動物の違いについて考えると
私は果たして人といえるのか疑問にも思えてきて
そうなると,もう笑うしか無い.

そして幼い息子や娘をみるとき,
生きる意味が意味の解釈を経ずに
私に力を与え,朝の夜明けに,
再び起き上がる力を与えてくれるのだ.