2011年11月3日木曜日

等速直線運動

車に乗って高速道路を走らせていた時,
時速100キロで滑るように走る車の中で
自分が止まっていて,フロントガラスに
投影された風景だけが動いているのを
眺めているような錯覚に陥った.

時速100キロという高速で移動しているのに,
体に加速度を受けなければ,
静止しているのと区別できないことを思ったとたん,
私の思考は,自動的に別のことへ移ろった.

変化のない漫然とした生活を送る者がいたとしたら,
果たして生きていると知覚できているのだろうか.
変化のない生活は,まるで等速直線運動のように
静止した状態との区別を難しくするに違いない.

「生きているのか死んでいるのか?」
「生きている意味はなんだろうか?」

時速100キロで滑るように走る車の中で,
静止した車に乗り,映画を見ているような錯覚は,
震災で歪んだ路面の段差に乗り上げた瞬間,
走っている実感で心は満たされ,
溶けて透明なって存在を失った.

意味を求めつづけ,さまよえる心は,
実はとても単純なことで足元の羅針盤に
気付くことができるんじゃないかと私は思いながら
完全の下り坂のカーブに差し掛かっているのを見て
現実とダブった気がして一人苦笑いした.