2011年1月23日日曜日

ソリの思い出

「東北小さな旅」は毎週土曜日の朝にNHKが
放送している東北地方限定ニュースのなかのコーナー。
その名の通り東北地方の各地を回り田舎の風景を
そこに住む人々の生活も交えて紹介していく番組だ。

毎週絶対見るのだと決めているわけではないのだけど、
土曜日の遅い朝に目が覚めてテレビをつけチャンネルを
ポチポチと切り替えると決まってこの番組に落ち着く。

今日の町は「秋田県にかほ市」
ちょうどテレビをつけたところで、
雪深い神社の境内に長く張り巡らされた階段を
女性レポーターが歩いているところだった。
階段には10cmほどの新雪があり
レポーターは長いブーツで雪を漕いで歩いていた。

雪と階段をテレビに見ながら僕は、
冬になると決まって思い出すソリの思い出を
反芻していた。

小学3年生まで僕は盛岡市青山4丁目にある
自衛隊官舎に住んでいた。
そこは運動公園の前にあり、雪が積もると
誰も来なくなる冬の運動公園に行っては
雪を漕いで歩いた。

あの頃は今に比べると盛岡も寒かった。
運動公園の中にある日本庭園の池も
カチガチに凍っていた。
学校から池の氷の上に乗らないように
注意されたが、1度くらいは
氷の上にのっかったような気がする。
高松の池でスケートをしていた頃だから
真冬ならなにが問題だと思うほど
ガッチリと堅く凍っていた。
今は絶対に無理だろう。

冬の運動公園へ遊びに出かけるときは
いつも後ろにプラスチック製の
青いソリをひいていた。
ソリの先端につけた白いビニールのヒモ、
確かピーピーテープと家では呼んでいたのだけど、
そのヒモを長めにソリに結んでおいて、
外に遊びに出かけるときは欠かさず引いていた。
夏は自転車、冬はソリが子供の乗り物だと
子供の僕は堅く信じていた。

一度だけ運動公園の中にあるスタジアムの西側の階段で
ソリ滑りをして遊んだ思い出がある。
スタジアムというのは運動公園の最北端にある
今改修している野球場のことだ。
このスタジアムの階段は、西側にあって観客用の
入り口に設置されているもので今も昔も変わっていない

ソリを引いた小学3年生の僕は、
このスタジアムにさしかかり、
この階段に心を奪われた。
階段の中程にある踊り場が
ジャンプ台となって
ソリのスリルを味わうには
よい場所に見えた。

そう思って僕は迷わず雪の積もって
上りにくい階段をソリを手にかけあがり、
そして滑った。

階段の踊り場は予想通りジャンプ台となって
ソリと僕を勢いよくはじきとばし、
回転しながら氷の地面にたたきつけた。
怪我をした記憶はないが、
僕の大事な青いソリの中程に
パックリと亀裂が入ってしまった。

親は壊れたからと言って易々と
買い換えてはくれないとあきらめていたので、
僕はこの階段の踊り場でソリ滑りをしたことを
とても後悔した。
それから何度もソリの亀裂をガムテープなどで
修理して滑ったが、雪の上を滑らせるとすぐに
テープは端からはがれ亀裂から雪が吹き込み
ソリは鉋のようになって止まるようになった。
だからソリ遊びはあきらめざるを得なくなった。

ソリが壊れた冬の雪が溶ける頃、
僕は父の転勤で幼少期を過ごした
思い出の多い盛岡を後にし、
北海道旭川市へと引っ越した。

それから28年たった今、自分は再び岩手に住んでいる。
毎朝の通勤時に運動公園横を車で通過する度に、
あの階段は、ソリの思い出と共に
僕は少年時代へとフラッシュバックさせられるのだ。

3年前、旭川に帰省した際、割れたソリが
家にまだあって冬に濡れた靴をストーブの前に
乾かすときに活躍していることを知った。
子供の頃の買い換えは無理だろうと
あきらめた事は正解だったと
これで証明されたような気がした。