2013年1月14日月曜日

場所とめぐり合わせ

いつの間にか新年も明けてしまったというのが今年の正月の感想.

正月休みは,ほとんど家で過ごした.
何をしていたのか思い出すきっかけとなる出来事を
思い起こすことが難しいほどに,
家でゆっくりとした時間を過ごしていた.

仕事に忙殺されている時,
時間があればあれやこれやとやりたいことが
たくさん思い浮かぶのに,
いざ自由な時間には何も手に付かないものだ

以前は休日となるとあちこちへ出かけたものだったが,
この頃は,疲労が蓄積する為か,出かけるのも億劫で,
家でゆっくりしていることが幸せに感じるのである.

去年の年末に,たまには日本酒を一升瓶で買って,
ちびちび飲んでみようと
年末に近所のスーパーで買った安酒が昨晩空になった.

仕事が忙しければ忙しいほど,
自分の心が空っぽであることに時々気づいて
なにかで満たそうとしているようだ.

忙しいという文字のごとく,この頃は心のなかの感情が
薄れているんじゃないかと思う.

大人は子供の頃の心を失うとか,
とりもどすとか,そういうフレーズにであうとき,
自分には関係ないやと思っていたが,
いよいよ私もつまらない大人になったのかもしれない.

自分の中に子供のような不合理な思考はないものか,
考えてみると そういえば,私は雪が好きであった.

岩手に来てから冬の雪が少なくて物足りなさを感じている.
アイスバーンの運転は嫌いだけど,雪が降ると楽しくなる気がして,
雪が降ると,もっともっと降って欲しいといつも願ってしまう.
雪好きは子供の頃と変わっていないようだ.

私は北海道の上富良野町という所に生まれて,
しばらくそこに住んでいたそうなのだけど,
2歳ころから岩手に来て滝沢村,盛岡のあたりに暮らしていた.
あの頃は,高松の池も凍っていてスケートで滑ったこともあった.

一番小さな頃の記憶は,今の岩手県立大学のそばの
平屋に住んでいたときのもの.
あの頃,住んでいた一帯は草原と林と農家しかなかった.

私は2歳か3歳だったのだろうか?
庭の紫陽花に雨が当たるのを眺めていた記憶,
秋の林を散歩した記憶.
庭一面が雪で白くなった景色.
あの頃通っていた滝沢村の川前保育園は,今もあの頃のままある.

それから小学4年の春から私は岩手を離れ北海道の旭川に暮らした.
北海道の北の大地の美しい自然のすばらしさは,
住んでいた頃はよくわからなかったが,離れてた今実感される.

大人になった今の私は,両親を旭川に残したまま岩手に住まい,
通勤で幼少の頃通った川前保育園の前を通り,
当時住んでいた家のすぐそばで仕事をしていることを思えば
人の運命などというものはまったく予想できないものなのだと
思い知らされるような気になる.

空っぽの心で何か書こうとしたらなかなか難しいものだが
書いているうちに何か満たされたような気持ちになったから不思議なものだ.

また朝が来た.今日の休みはどう過ごそうか?