2010年10月26日火曜日

汲み取り式トイレと思い出

僕は汲み取り式トイレが死ぬほど嫌いです.

汲み取り式トイレ,通称「ボットントイレ」に
入るくらいなら,木の木陰でしたほうが
よっぽどましだと36歳のオッサンになった
今もマジで思っています.

物心付いた時から汲み取り式トイレに入ることは,
それは恐ろしくて用を足さねばならない緊急時に
どうしても周りに汲み取り式トイレしかない場合は,
まず外を見まわって,草の陰とか木の間など
隠れて用を足せる場所を探したものです.

大人になった今は,さすがにそんなことはできないので
汲み取り式トイレしか無い状況に陥ったら,
どんなに遠くても車などで水洗トイレのある場所まで
行くことでしょう.

そんな極度の汲み取り式トイレ恐怖症の僕が
小学生の低学年だった頃のこと

私の家族は地方都市の自衛隊官舎に住んでいました.

自衛隊の官舎は多少古くとも5階建てぐらいで
鉄筋コンクリートの建屋というのが多くて
水洗トイレぐらいは完備していたものです.

僕の家族が入居していた官舎も幸いにして
水洗トイレだったので自宅にいるかぎりは
問題ありませんでした.

大変だったのは夏休みや冬休みに長期間,
田舎の祖父母の家に遊びに行った時です.

私の両親の実家は,一方が秋田県山本郡八森町で
もう一方が北海道空知郡上富良野町でして,
30年ほど前は両方共に一般の家に水洗トイレが
全くと言っていいほど普及していない地域でした.

長期の休みの時に祖父母の家に遊びにいくことは
楽しみである反面,汲み取り式トイレをどうにかして
やり過ごさねばならず,その問題は幼い僕にとって
死活問題であったのです.

そんな僕の忘れられない思い出.

いつの夏だったのか詳しく思い出せませんが,
恐らく僕が小学校の1年生か2年生の頃だと思います.
当時,僕の家族は岩手県盛岡市に住んでいて,
小学校の夏休みに家族で北海道の祖父母の家に
遊びに行った時のこと.

僕は遊びに行った初日ぐらいは元気にしていたのだと
思いますが,たまに遊びにいく祖父母の家では,
次から次へとご馳走がでて絶えず食べ続けねばなりません.

食べたものはドンドン消化されます.
用をたしたくても汲み取りトイレ故に我慢する僕.

次第に我慢の限界が近づき青い顔をして
元気がなくなってきたのだと思います.

祖父母が心配してどうしたのか僕に訪ねました.
僕も幼いながらも恥ずかしくて理由をなかなか
言い出せませんでした.

特に祖父は,元警察官だけあって
体はガッチリとして声は大きく,
背は高く,いつも理屈っぽくて,
理由を知ったら怒られそうだと
僕は怯えていました.

しかし我慢も限界となり,ついに白状.

ぼっとんトイレが怖くて
トイレに行けなくて困ってたと知った祖父.
きっと情けないヤツだと思ったに違いありません.

でも祖父はおもむろにスコップを持って
100坪くらいある庭の一角に植えてあった
トウモロコシ畑の中央付近をこじんまりと円形に刈り取り,
真ん中にスコップで穴を堀って
トウモロコシ畑の外側までうねるような
S字の小道を作りました.

それは僕用のトイレでした.

汲み取り式トイレの人工的な穴はとても恐ろしいけど,
畑に掘られた30cm程度の土の穴はまったく
怖くもなんともありません.
自分が砂場で掘った穴みたいなものです.

そしてトウモロコシのおかげで
周りからは見えない,僕の最高のトイレでした.

喜んで用を足した僕.
孫が心底ホッとした様子を見て,
この時ばかりは祖父もニヤニヤしがら
うれしそうにしていました.

夏,トウモロコシ畑を見るたびにあのトイレが脳裏に蘇ります.

今は亡き祖父の温かな心を感じる僕の思い出です.