2012年6月20日水曜日

裸の王様

書店に行けば「猫にでもわかる~」とか
「サルにでもわかる~」シリーズみたいに
アホな自分でもわかるんじゃないかと
期待させられる本が並んでいるのだけれど,
手とってみても,金を払って買おうと思わせられるような本は
そうそうないのではないだろうか


わかりやすいことには総じて魅力がないように感じてしまう.
わかった瞬間にその興味は,
吹き消したろうそくの火のように消えてしまう.


一方で意味不明の言葉の羅列に見える詩,
宇宙物理の解説本とか研究論文とか,
総じてわかりにくいものやわからないものほど惹きつけられる.

意味をあれこれ考えさせられる事に自分は価値を感じるとか,
あるいは,難解なものを理解できた側に
自分はいるのだという自己満足だとか
多様に解釈可能な意味の広がりの中に
自分のみが真理を得たと思い込むことだとか
わかりにくいものの魅力は様々あるのかもしれない


美術館に飾られた意味不明の落書きのように見える抽象絵など,その極みではなかろうか.

自分には価値がわからないが立派な美術館に
飾られているのだから,きっと素晴らしい絵なのだろうと
想像するしかないような絵が飾られていることがある.


それをジーっと眺めてみても自分には何も沸き起こらないのだとしたら?
それは自分にとって価値の無いものだと言える.
価値が無いとわかるまで,その絵に向きあう必要はある.


だから,わからない絵の魅力というのは,やっぱりわからないこと
そのものに魅力があってわかった瞬間に
その価値は失われるのではないかと私は思っている.
絵の分からない私なりの絵の楽しみ方といえる(笑)

専門家が良いと言うのを聞いて盲目的に良い絵なのだと信じることにするのは嫌だ.
できれば裸の王様を見る群衆であるよりも,「王様は裸だ」と言った子供でありたい.


気をつけないと,今の日本には,見えない服で着膨れした裸の王様が闊歩しているのではないか.
価値の判断を人任せにしてはいけない.