2015年7月14日火曜日

スロープ

私は今40歳。
1974年に生まれて今年の誕生日を迎えると41歳になる。
年をとっても自分の本質は変わらないと思い込んでいたけど、実際はそうでもない。どうもこの頃は、肉体的にも疲れやすくなったし、精神的にも弱くなった。

私はこんなに弱かったっけ?って自分が首をかしげたくなる程に今の私は弱くなったんだなあ。
以前もそんなに強かったわけじゃないけど、どうにも譲れないこだわりがあって私は少なくとも頑固で、人の言うことを聞かないタイプだった。
こだわりを実現するためには、いつも時間を忘れてた。

今時分の思いと現実とのギャップは大きく乖離してて、頭に描く成果に対して現実はなんと貧相なことか。
もっと自分は戦えるはずじゃなかっただろうかって思うんだけど、疲れたし眠いし、もう動けない。
自分の思いと現実のギャップを認めたくなくて、目を背けたくなるんですな。もっとできるはずだと。

でも仕方ないと諦めて、地道にやるしかないんだけど。
いい加減、心の底から諦めて今の現実を受け入れないと、精神的に参ってしまいそう。
どうも自分が弱り気味なのに気づいているので、もう休日は仕事のことを考えないようにしてすっかり忘れて子どもたちに向きあう時間を作ったりなどしてると、ちょうど自分がモノごごろついて自我が芽生えた時期と息子の様子が重なって、自然と昔を思い出すことが多くなった。

今の息子と同じ年の頃は、ちょうど北海道旭川市の春光町というところに住んでいて、学校帰りに春光園という池のある公園でよく遊んだ。
初夏の頃からだろうか、春光町の西の方角に通称「スロープ」と呼ばれる崖があって、友達とよく自転車で出かけた。

赤土がむき出しの崖には、ところどころに湧き水が流れ出てていて、小さい流れなのだけど崖を侵食している場所があった。赤土は、湧き水の流れているところだけ谷になっていて、水の流れる溝には落ち葉なんかが溜まっていたりしてたけど、よく透き通った水は夏の日差しの下には心地よかった。

小学生の私や友達は誰に教えてもらったかは思い出せないけど、その湧き水の流れに、周りか集めた決めの細かい灰色の粘土っぽい土などでダムや水路を作って、よく遊んだものだ。上流で水をためては放水したり、粘土でつくった迷路のような水路の上に水を導水したりした。
気がついたらいつも5時過ぎにのサイレンだったかチャイムを聞いては、まだ名残惜しい気持ちをこらえて家へ自転車を走らせたものだ。

時は流れて40歳になった私が、作っては壊してうんざりしているのはコンピュータの中を流れるフローを、粘土じゃないけど相変わらず今もコネコネしているんじゃないかと思ったら、なんだか力が湧いてきた。自分自身でさえ、やる気を引き出すのは、つくづく難しいものだなあ。

バイパスできたのでスロープは潰れただろうと思っていたのですが、Googleマップの航空写真を確認したら今もありました。スロープの下をパイパスが通る構造にしたんですねえ。

2015年3月28日土曜日

近況

2015年が始まって3ヶ月が終わろうという、もうすぐ春を目前にしたこの時期。
出張で名古屋や東京のもうすぐ咲かんとする膨らんだピンクの桜の蕾を眺めてから、岩手に帰ってくるとまだまだ東北の春は遠いなと寂しい気持ちになったりします。

この3ヶ月は、簡単には思い出せないほど色々詰まった時間でした。
その中で特に思い出に残っているのは、2月上旬に北海道へ出張に行ったこと。
出張の合間に、小学生時代過ごした春光台へ足を伸ばし、配水場とかがある旧高台小学校近くの雑木林を少し歩いてみました。
あそこを歩いたのは、多分28年ぶりかなあ。
雪が深くて、スロープがあるところまでは行けなかったけど、昔のまんまだった。
崖に茂る雑木林の合間に覗く旭川市内の様子は、当時からみたら建物が崖の下まで増えた印象かな。崖の真下にバイパスが通って交通量が増えたせいでしょうか。


毎日見ていたNHK朝ドラ「マッサン」。今日で終わってなんともいえない寂しさが今の私を支配しております。若い時代から年老いた時代まで人の人生をなぞるドラマに弱いです。北の国からとか、大草原の小さな家とか、その世界を思い出しただけで胸がキューっとなるような、マッサンもそういうドラマだと感じました。

最後に、CQ出版から今週3/25に発売されたInterface5月号に私書いた記事を掲載いただきました。睡眠時間を削って休日にこもったりなとして書いてる時は、しまったー!こんなの引き受けるんじゃなかった〜 (;_;)と大いに後悔しましたが、形になって書店で売られているのを見ると、なんだか嬉しくなってニンマリしてしまいます。


書店で見かけたらぜひご購入ください.m<(_ _)>m

2014年10月14日火曜日

emacs skype

1年以上ブランクをあけての投稿になります。
今年の健康診断でいくつか引っかかってしまいましたが、元気にしておりました。

岩手に住んでいると大型の台風に巡りあう機会はそうそうないのですが、昨日から今朝にかけて岩手にも接近した台風19号は、なかなかに強力でした。
幼稚園児の娘が夜中に台風の風雨が屋根に叩きつける音に目を覚まし私にしがみついて、しばらく怯えて震えておりました。
私も大丈夫、大丈夫と言いながらも気になっているうちに目がさめてしまい、娘が落ち着いた後そのまま枕元でパソコンを開いたら朝を迎えてしまいました。
ブラウザを開いてニュースを見始めるとキリがないです。
先週末から風邪を引いてしまったようで、喉がキリキリと痛むので近所の薬局にて割と高めののど飴を買ってなめてみたけど、それよりも普通の飴のほうが喉の痛みには効果があるような気がしました。説明書を読むと一日に食べる回数は3回とか制限があるくせに効果が低いです。

最近、ATOMのZ530を搭載した一昔前のネットブックにlinuxをいれて持ち歩いているんですが、1.6GHzシングルコアだとWindowsとかいれても使い物にならないので、コンパクトだとどこかの記事に書いてあったLinux Mintを入れてemacs,w3m,mewなどを入れて使ってみたりしておりました。
これが、なかなか面白いなと感じているところです。
貧相なCPUだけど どこにでも持ち運べ昔のSHARPのポケコンに向き合うみたいに思いついたプログラムをペコペコ書いてみるというのは、歳をとってコンピュータに対する情熱が薄れてしまった感のある私にとって予想以上に刺激になっております。
かつて中学生の時に家にやってきたNEC PC9801VM21に毎日向かい、マニュアルと格闘しながらN88BASICのしょぼいプログラムを書いていた日々を多少なりとも思い起こしてくれました。
今更でかい図体の遅いマシンに付き合う気は起きないのですが、数年前にはやった可愛らしいサイズのネットブックなら、いつでもどこでも持ち運べるぶん遅くても付き合う気にさせてくれます。
見た目のフォルム、可愛らしさは重要ですね。
遅いマシンを使う効能は、同じアウトプットを出すプログラムを書くときにも、効率を意識させてくれるところです。
遅くても許せる相棒マシンが手元にあれば、それは組み込みにも耐えうるアルゴリズムを開発するモチベーションにつながるんじゃないかと思っています。
休日も貧弱スペックのマシンを持ち歩いたりなどしてますが、手にする時間が長くなればなるほど可愛くなるもので、全てをこのマシンで処理させたくなったりします。けれど、emacsで作業しているところから、他ソフトを起動したりすると遅いし、マシンがもともと小さいせいもあって画面が細かくてマウスカーソルを探すのもいちいち神経を使うし、内臓のポインティングデバイスをいちいち持ち替えたりするのも結構面倒です。
最初に不満を感じたのは、emacsつかっているときにskypeのメッセージが来たときです。
skypeのクライアントソフトもGUIメインですべてをマウスカーソルでいちいち指定してやらなければならないのがうっとうしくなりました。
emacsからskypeできないかなと調べて、見つけたのがemacs-skypeでしたが、これがちょっとはまりました。
emacsからskype.elを起動しても「skype-status-name accessing a non-skype-status」というエラーが出て、まともに動いてくれませんでした。
(setq skype--com-debug-mode t)
とか.emacsに書いて原因を調べてみましたところ、どうやらskype.elは、skypeアカウントではないものがコンタクトに登録されているとエラーを吐いて止まってしまうようです。
たとえば固定電話の番号をコンタクトリストに登録しているような場合です。
skype.elのコード修正して対処したいところなのですがelispさっぱりわからないので自分のコンタクトリストから電話番号だけの連絡先をすべて削除しまして動作に至りました。

skype.elは、今後手放せない存在になりそうです。

2013年7月12日金曜日

スマホ買い換えなど

 心の中にあるものを文章に書き出す作業をさぼっていたら、しばらくぶりに書いてみようという気持ちになってキーボードに向かってみても、なんて書いたらいいものか考えるばかりの時間だけが過ぎていくばかり。
書くこと忘れてきちゃったみたい。
 以前は仕事でメモを取るときもPCに入力してたのだけど、万年筆を使うようになってからというもの手帳に手書きすることが楽しくなって早2年くらいになる。
手書きの手帳のいいところは、レイアウトが自由なこと、思いついたことを気軽にかけること。そして書き味のよい万年筆を使って記すことができることだと思っている。一字一句の文字を記していくときの感触が自分にとって心地良い。反面、後からメモを探すのに時間がかかってしまうのが難点だ。書いたメモをもう少し有効に使えればいいのだけど。きっとスマホのカメラで撮影したりなどよいツールはあるのかもしれないが、ものぐさな人間としては書いた後の処理に要する手間が惜しいから結局はなにもしないままだ。
 なにも書き残さずただ漫然と生きていると、近い過去を振り返ってみたとき自分でなにをしていたのか簡単には思い出せなくて、途中途中では結構苦労して一生懸命にやってたのに、あれは何だったんだろうと幾ばくかのむなしさなどを感じたりすることが自分にはある。数ある苦しかったプロジェクトも後から振り返るとはじけて飛んだ長渕剛のシャボン玉の歌ようだ。これからいくつものシャボン玉をあげ続けていくのだろう。が、そのシャボン玉を否定することは無意味なことだと思っている。私自身もこの肉体が滅んでしまえば、過ぎゆく風のごとくに何も残らないのだから、私もシャボン玉みたいなもので、ぱっと割れてしまえばそこにあった物理的な証拠は、なにも残らないに等しい。
 だからその慰みの1つとして昔から日記を付けた方がいいと人生の先輩方が私たちに教えてくれていたのだろうというのが私なりの解釈なんだけど、つまらないことに時間を割いて、日記は続いた試しがない。一時期は半年間手書きで書いてたこともあったが、カミサンが起きている時間には書いているのが見つかったら恥ずかしいとか、ビールのいっぱいでも飲みたくなってそのまま寝たとか、仕事が遅くまで続いたのでさっさと寝てしまったなどというつまらない理由で、いつの間にか忘れてしまうのだ。
 まあ、どうでも良い独り言を書いていたら以外に文字数が増えてきて、書き込むペースも少しづつあがってきたようだ。このごろはなにをしてたのか。仕事も開発という性格上かけないことばかりで、あれもこれも書いちゃダメと頭の中で書くネタを思い浮かべては否定する繰り返しをしていると、次第にはどうでもよくなってなにも書けなくなったりするので、あまり問題ないネタを最初に思い浮かべなければならない。
 そういえば携帯電話を3年ぶりに買い換えた。3年間使ったSO-01Bは、とうとう使うに耐えられなくなった。次に携帯を買い換えるときはドコモを辞めようかと思ったけど、ツートップとかいうドコモのキャンペーンでやすくなるというのでドコモを継続することにした。ドコモの店員さんはサムソンが性能面で優れていると説明したりなどしてなんとなくサムソンを進めている様子だったが、あり得ない選択肢であり、迷わずXperiaを選択。そもそもドコモは何で2機種だけ優遇して提供するのだろう?選ばれなかった会社との関係悪化のデメリットと2社だけ優遇するメリットと比較して後者が大きいと判断したんだろうが、一消費者としてドコモに不信感を感じている。これまでドコモに携帯電話を提供してきたメーカーはなおさらだろう。今回はドコモ継続したが、次はやめようかと真面目に思っている。
 ドコモのツートップキャンペーンには不満はあるのだけど、このSO-04Bを格安で入手できたことには満足している。デザイン、性能、使いやすさなど、なかなかいいのではないでしょうか。この文章もSO-04BにリュードのBTキーボードを接続して入力しているけど、パソコンとほとんど変わらない快適さで文章が入力できている。3年前SO-01Bで同じことをやろうとしたけどまったく使い物にならなかったのとは雲泥の違い。携帯を換えてから自宅でパソコンを開く回数がめっきり減ってしまった。PCの販売台数が最近減っているのも大きくうなずける。後は自宅の印刷環境がスマホとリンクできて、年賀状やちょっとした町内会の文章もスマホで書いて、自宅のプリンタで印刷できたら自宅にパソコンはいらない。最近のプリンタはスマホと簡単につなげるんだろうか。10年前には流行らなかったが感熱紙のロール紙に印刷するプリンタは、今なら活用できるチャンスが大いにあるんじゃなかろうか。BT接続でもIR接続でも過去に開発したモバイルプリンタをスマホ接続できるようにアプリを開発して再販したら開発コストも押さえつつ、需要のある分野に製品を投入できるのではと責任のない立場では思うのだけど、そうは世の中 甘くはないのかなあ。
 

2013年5月30日木曜日

GHMM for windows x64

I have succeeded in compiling the GHMM (The General Hidden Markov Model library) for windows(x64). I'm grad if it becomes your help.

ghmmwrapper-0.8.win-amd64-py2.7.msi

compiled with...
VC8 express
swig 2.0.1
Windows SDK 7.0
Python 2.7.2

2013年2月12日火曜日

2月の焦り

 2013年もあっという間に1か月が過ぎ去ってしまった。2月も既に2週間が終わろうとしているが、計画していたことは思うように進まず、焦りは募る一方であるけれども、心に思い描くようには進まないのが現実ではある。

 やるべき事柄をリストにして手帳に書いてみたが、2時間半でつぶせたのは6項目のうちもっとも簡単な2項目のみであった。現実は厳しい。
 忙しいときに限ってあれこれとやってみたいことが思い浮かんで時間を食いつぶしてしまうのもよくあること。しかし時々その回り道が役にたったりするからその回り道も無駄ではない。

 今この文章を書いているのも回り道。そろそろ課題に向き合うことにする。

2013年1月14日月曜日

場所とめぐり合わせ

いつの間にか新年も明けてしまったというのが今年の正月の感想.

正月休みは,ほとんど家で過ごした.
何をしていたのか思い出すきっかけとなる出来事を
思い起こすことが難しいほどに,
家でゆっくりとした時間を過ごしていた.

仕事に忙殺されている時,
時間があればあれやこれやとやりたいことが
たくさん思い浮かぶのに,
いざ自由な時間には何も手に付かないものだ

以前は休日となるとあちこちへ出かけたものだったが,
この頃は,疲労が蓄積する為か,出かけるのも億劫で,
家でゆっくりしていることが幸せに感じるのである.

去年の年末に,たまには日本酒を一升瓶で買って,
ちびちび飲んでみようと
年末に近所のスーパーで買った安酒が昨晩空になった.

仕事が忙しければ忙しいほど,
自分の心が空っぽであることに時々気づいて
なにかで満たそうとしているようだ.

忙しいという文字のごとく,この頃は心のなかの感情が
薄れているんじゃないかと思う.

大人は子供の頃の心を失うとか,
とりもどすとか,そういうフレーズにであうとき,
自分には関係ないやと思っていたが,
いよいよ私もつまらない大人になったのかもしれない.

自分の中に子供のような不合理な思考はないものか,
考えてみると そういえば,私は雪が好きであった.

岩手に来てから冬の雪が少なくて物足りなさを感じている.
アイスバーンの運転は嫌いだけど,雪が降ると楽しくなる気がして,
雪が降ると,もっともっと降って欲しいといつも願ってしまう.
雪好きは子供の頃と変わっていないようだ.

私は北海道の上富良野町という所に生まれて,
しばらくそこに住んでいたそうなのだけど,
2歳ころから岩手に来て滝沢村,盛岡のあたりに暮らしていた.
あの頃は,高松の池も凍っていてスケートで滑ったこともあった.

一番小さな頃の記憶は,今の岩手県立大学のそばの
平屋に住んでいたときのもの.
あの頃,住んでいた一帯は草原と林と農家しかなかった.

私は2歳か3歳だったのだろうか?
庭の紫陽花に雨が当たるのを眺めていた記憶,
秋の林を散歩した記憶.
庭一面が雪で白くなった景色.
あの頃通っていた滝沢村の川前保育園は,今もあの頃のままある.

それから小学4年の春から私は岩手を離れ北海道の旭川に暮らした.
北海道の北の大地の美しい自然のすばらしさは,
住んでいた頃はよくわからなかったが,離れてた今実感される.

大人になった今の私は,両親を旭川に残したまま岩手に住まい,
通勤で幼少の頃通った川前保育園の前を通り,
当時住んでいた家のすぐそばで仕事をしていることを思えば
人の運命などというものはまったく予想できないものなのだと
思い知らされるような気になる.

空っぽの心で何か書こうとしたらなかなか難しいものだが
書いているうちに何か満たされたような気持ちになったから不思議なものだ.

また朝が来た.今日の休みはどう過ごそうか?






2012年9月30日日曜日

蛇

以前なら休日には意味もなく片道100キロ以上遠いところを
なんとなく目指して車を走らせ遅い昼食を出先で食べて
休日を過ごしたものだったが,この頃は遠くても片道50キロ圏内.

白樺並木の岩手県民の森や田沢湖を見下ろす秋田県民の森のあたりを
目指すことが多い.白樺には,ゴマダラカミキリがついていることがあって,
見つけては小学1年生の息子が歓喜をあげる.
その向こうで,しかめっ面をしたカミさんが定番である.

最近みつけたお気に入りの場所は,雫石の葛根田川の河川公園.
昨日もそこへ散歩に出かけた.
大型のトノサマバッタがいっぱいいて虫取りあみがあれば結構楽しめる.

この公園の敷地は,かなり広大で 車を置ける場所から,最も深部まで
歩いて20~30分位かかる.
そんな場所を,昨日はじめて端まで歩いてみた.

公園には私達家族の他に,犬を散歩させている地元の若い女性が1人.
脇を流れる葛根田川の水の音しか聞こえない.
人があんまりこないからなのか,あまり会いたくないものに複数遭遇した.

まずあったのは,カラスの死体.
興奮して報告する息子に速攻で「近づくなよ」と司令を飛ばす.

次に地面をはう蛇.
動いているのを確認した次の瞬間には地面の穴へと滑るように吸い込まれていった.
いつの間にか棒をもった息子が執拗にほじくったけどしっぽも見えず.

どんどん歩いていくと,葛根田川へ流れこむ支流に行き着いて,
そこが公園の南端であった.支流は東の小岩井方面から流れ込んでいて
その水は葛根田川よりも澄んでいるように見えた.

そこで,蛇2匹と遭遇.
かなりの大物であった.
4歳の娘の背丈よりも明らかに長かった.
私と娘のすぐ背後を大型の蛇が通過していったのを見たときは,
さすがに肝を冷やしたというか,凍りついてしまった.

カミさんは,一緒に来ずに車の近くで腰を下ろしてケータイをピコピコやってたから
蛇を見ることはなかった.

周囲に落ちてた3匹分の蛇の抜け殻をおみやげにすると言ってきかないので
持って帰ってきた.
1メートルくらいの長さがあって完全な蛇の形状をとどめている抜け殻は,
まだしっとりとして新しいものであるように感じられた.
目や口だっただろう部分も確認できた.

「財布に入れるとお金持ちになるよ」と息子が教えてくれた.
誰から聞いたのだろうか?私は知らなかった.
このまま入れるには大きすぎなので少なくともちぎって入れる必要がありそうだと
考えている自分から急に我に返り苦笑するしかなかった.

疲れたという娘をかたぐるまして車まで20分くらいかけて戻る途中,
娘が握る蛇の抜け殻が何度も顔をかすめるたびに獣臭い香りがして
なまなましかった.このまま財布に入れたらかなりキツそうである.

蛇の抜け殻をぶら下げなら歩いてきたカミさんが小さく悲鳴をあげ のけぞった.
でも財布には入れるつもりのようだ.
自分にはよく理解できない.

2012年9月29日土曜日

冷たい空気

急に秋になった.
日中も窓を開ければ,PCの排熱でどんよりした空気が,
心地良い涼しい風で流れていくようになった.

「9月」
一体何を自分はやっていたのか簡単には思い出せない程に
あっという間に終わってしまった.

歳を取る毎に自分のクロック周波数は落ちており,単位時間あたりの
情報処理量は,確実に低下していることを実感している.
中年と言われる年になった.そうだ誕生日も近い.


生前の祖父に「体が資本だ」と言われたものの,
よくわからないままうなづいていた少年時代を思い出し,
あの頃に戻りたい衝動にかられている.

この頃の私の仕事を取り巻く状況は,一言で表現すると
息つく暇もないという感じ.
大きな夢を追いかける開発と,切羽詰まった感じのデスマーチな開発と,
開発以外の雑多な業務をグルグルと回っているうちに,
めまいがしてきている.

そして仕事の関係で外食が増えて,お腹が大黒様の様になってきた.
怖くて体重計にのってないが,10年前と比較すると10キロ以上太った.
タバコをやめたせいもあるのだけど,食べる量はかなり増えた.
無意識にもストレスを食事で発散させている面があるのかもしれない.

まあ,仕事でいろいろあってため息がでることも多々な状況ではあるのだけど
昨今の日本の製造業が猛烈な下降線をたどっているまっただ中で,
夢を追いかける研究開発を行えている状況は幸せなことだと,
心の中で感謝の気持ちを忘れずに,クライアントからの受託開発と
並行して固有技術の開発に勤しんでいたりしている.

クライアントからの受託開発も,ハンパなく難しいもので,世の中の切羽詰まった感が
その開発にも凝縮されていたりして,どうやって厳しい要求仕様を満たそうか
頭を抱えたりもしている.
度重なる要求仕様の変更と追加と,一方でコストダウン要求にはうんざりである.
そんな仕事はやらない!と机を叩いてドアをバンとしめて帰ってきたいものであるが,
鬼に見えるクライアントの担当の方とも長いお付き合いで,さらにその方の人間的魅力と
行動力と資金力を前にすると,私もなんとかしてあげたいと優しい気持ちになって
「何とかします.やります」って言っちゃうのです.

でも開発難易度は,相当なものなので どこかに智慧は無いものかと,
世界中から論文を集めて読んでみるものの不毛な時間が過ぎ去ったりと苦労は絶えず.
今日は,期待して2週間前に注文していた分厚い海外の高価な文献が届いて
早速読んでみたが,期待は大ハズレでズッコケた.
社内に回覧して様子を見てたら,パラパラとページをめくって無言であった.
「どうしようもないもん買いやがって」というテレパシーが伝わってくるようであった.

そういえば今月の始まりは,アジアからのお客さん来社から始まったのだった.
領土問題で胸熱な気持ちの高ぶりが,あちらの人とお会いした時,忘れてしまうのは,
車の運転席の窓を空けて笑顔とハンドジェスチャーをした時に進路を譲ってくれる
状況と似たようなものだろうと なんの脈絡もなく解釈している自分に気づいた.
日本の経団連会長が中国よりの発言を北京から発信しちゃったりするのも,
ニッコリ笑って微笑みながら強引に割り込んでくるゴジラみたいなおばさんに
思わず道を譲ってしまったようなものだったんだろうと信じたい.

タバコをやめて ほぼ4年半.
この頃吸いたくなる機会が増えてきた.
けど,他の人の吸っているタバコの匂いを嗅いだら,臭くてたまらなかった.
以前なら厳しい現実に直面しているような時,セブンスターを息継ぎのように吸っていた.
それを今も続けていたら,きっと体を壊していただろうと思ったりもして,
タバコをやめた自分は勝ち組だと心の中でガッツポーズして気を紛らわせたりする.


今週一気に涼しくなったせいか庭のドウダンツツジが一気に紅葉し始めた.

ひんやりとした空気に,もうすぐ冬の到来を予感させられる.
秋の朝の冷たい空気が,世の中との漠然とした一体感を断ち切るように
鋭く鋭利な刃物のように感じられた.

そうだ冬は確実に来る.

この頃の日本は,「絆」とか漠然とした美辞によって,なんとかなる温かさが
あるかのような錯覚を覚えてしまいそうになる.
でもそれは幻想に近い.
自分の守りたいものを差し置いてまで他人を助けることは人には困難なことだ.

季節も冬となり,そして景気も さらにお寒い真冬に突入していくように見える
寒さが耐えられなくなった頃に,もがいてもどうしようもない.
凍える冬の到来とともに,どうしようもなくなった現実がつきつけられる.
そうならないように,できればキリギリスではなくアリでありたいものだと望んでみても
小企業の行く末は半ばギャンブルのようなもので全く予測がつかないのも事実.

空気が冷たくなってきて赤くなった葉っぱを見ると,
そんなわけで,なんだか気持ちはしんみりとして
家族と共に過ごす時間がものすごく貴重に感じられるようになってくるのであります.
今日は仕事休み.子どもとカミさんとどこへ行こうかなあ




2012年8月21日火曜日

夏の思い出

デフレのまっただ中.
経済の縮小が現在進行中のご時世だからなのか.
仕事がらみの苦労は耐えることがなくて,
確実に心が疲弊しているのをこの頃感じていた.

リスクを承知でチャレンジしなければならないことの連続が,
押し殺そうとしても消えない不安を心に蓄積させてしまったのだと思っている.

不安が募っていくうちに,あれやこれやと背負わなくてもいいものを
背負い込んだつもりになって空回りしてしまう悪循環があることにも
気づいているのだけど,思うように舵を切れないでいた.

このままでは長くは持たないなあと危険を感じる部分があって
夏休み前に仲間内にSOSを発信することにした.
考えてみると自分のテリトリーと感じている領域について,
ヘルプを発信したことはこれまで滅多になかったんじゃなかろうか.
SOSを送って重荷を共に担いでくれる存在がいて,
実際に自分の心が軽くなっていくのを体験すると,
仲間の存在というのはありがたいものだと
今更ながらに感謝したりしているのである.

そんな状況もあって,今年の会社の夏休みは,
仕事をすっぱり忘れてやろうと腹に決めて,
思考を停止しぼーっと過ごしてみることにした.

とはいえ,ちびっ子達がいるので自分の好きに時間を過ごせるということもなく
ちびっ子達が期待している夏らしい過ごし方も考えねばならない.
そこで,あれこれと考えた末,2日ばかり秋田の海へ繰り出すことにした.

8月14日の午後1時,私達家族は男鹿半島の鵜ノ崎海岸にいた.
日本の渚100選に選ばれているというだけあると感心した.

50cm~100cm程度の遠浅の海に,ところどころ岩肌が顔を出していて
磯遊びにはこれ以上のところはないと思える素晴らしいところであり,
私はシュノーケルをつけて眼前を横切る小魚をながめながら,
時々,ちびっ子達が溺れていないか気を配りながら,
無心でプカプカと浮かび続けたりしていた.

2日目の午前中も同じように鵜ノ崎海岸でプカプカ浮かんでいたら,
急に雨が降ってきたので,40kmほど先の入道岬まで海岸線沿いの
道をドライブがてら車で移動した.

入道崎の切り立った崖の上から果てのない海の向こうを眺めていると,
自分のちっぽけな存在に自ずから気付かされるようで,
くよくよしていることが,どうでもよいような感じがしてきた.
ちびっ子らは,草むらに飛び跳ねるトノサマバッタを追いかけるのに夢中.
子供のときの一途な気持ちを今 取り戻せば,幸せになるんじゃないだろうか.
車に戻る途中,草むらでカマキリを見つけて息子はゴキゲンであった.


入道崎をあとにして,男鹿水族館を閉館18:00ギリギリまで鑑賞.
盛岡まで約170キロを走り,家に帰ってきた.
思い出の男鹿半島.海が恋しい.今年の夏の思い出である.

2012年8月3日金曜日

影響力

この頃,以前にも増して人と合う機会が増えた.

わかってはいるつもりだったのだけど,
世の中には実に色々な人がいるということを
つくづく実感させられることばかり.

人にお会いして,後からその人のことを色々と
考えさせられるということは,その人は
自分に対する影響力があったといえるだろう.

昨日,お会いした方は,そういう方だった.

詳しくは書けないことなのだけど,その方との
会話の間に私は頭に血がのぼってきて,
私は興奮していた.

なぜ冷静になれなかったのか?
今の私は,確かに恥ずかしさを覚えている.

その時間が自分にとって,周囲の人にとって
どういう意味があったのか,
恥ずかしい気持ちを追いやろうと,
後になってから あれこれと考えてしまう自分がいる.

「短気は損気」という言葉が自動的に浮かんでくる.
まさにそのとおりだ.

過去を振り返ると恥ずかしいことばかりだけど,
またほろ苦い記憶が1つ増えてしまった.

2012年7月26日木曜日

小さな芽

この7月は,これまで蒔いた種たちが芽吹きだしたのを
目の当たりにした1ヶ月であった.

いくつかある関連性の無いはずのテーマがそれぞれ
タイミングを同じくして,芽を出し始めた.

これから若い芽を大きく成長させるために,
神経をすり減らす日々がしばらく続くことになるだろう.


種たちは,深く耕した土にまいたつもりだ.
せっかく芽吹きはじめたものを容易に枯らすことはないようにしたい.

振り返ればこの10年で,仕事として作るものが大きく変わった.
この5年間が大きな端境期だったのかもしれない.

それらは既に消え去って再び帰り来ぬものではないのかと
この頃では,そのように思っている.
拠り所にしていたものがなくなることというのは,
急に裸一貫で野外に投げ出されたような心地がして
とても恐ろしいことだが,こだわりを捨てて前に進まねばならない.

新しい付加価値を生み出す未知の領域に踏み出さねば,
盤石だと思っていた足元は,溶けてなくなって奈落の底に落ちていく.
砂のように脆い道だとしても前に進まねば,
今を維持することさえも許されない.

いつの間にか世の中は,ずぶんと厳しくなったものだ.
寄りかかるべき大樹だと思っていたら,
中身が腐って倒れそうだという話があちこちから聞こえてくる.

たとえ小さな芽であっても大地に根を張り巡らし,
スクっと立ちつづけていたいものだ.

有島武郎 「小さき者へ」 小さい自分に勇気をくれる名著の一つ

2012年7月3日火曜日

「あめる」

もう2012年の半分は終わってしまったと思うと
残念な気分になってくるようで,何事もなかったという
安心感も入り混じり気持ちは複雑に対流していく.


過ぎていった時間を迎えたときは,
来る未来の姿を恐れていたのに,
過ぎて行った時間を振り返るときは,
そんなことも忘れ感情が揺らぐこともないから
きっと私は想像力が乏しいのかもしれない.

7月になって,いよいよ岩手も暑くなってきた.

昨日も半袖シャツを着て仕事をしていたが,
じっと座ってパソコンを打っているだけなのに蒸し暑さを感じた.

暑くなってくると食べ物の傷むのが気になってくる.
冷蔵庫に入れ忘れた食べ物に気を使わねばならない.

岩手の北の方では,食べ物が腐ることを「あめる」という.
私のカミさんが「あめる」というたび,今でもぎこちなさを
感じながらも,「あめる」という言葉の響きに,
なんとなく腐敗のイメージが繋がるから不思議だ.
きっと「あめる」という言葉は「擬態語」に違いないと思っている.

どうやら食べられないものには「あめる」を,あまり使わないようだ.
本当は食べられたものなんだけど,腐敗させてしまったという,
腐敗した対象への特別な気持ちを表現するために,
無意識に使い分けているんじゃなかろうか.





2012年6月30日土曜日

裏山の森

土曜日の朝、子供たちを連れて自宅近くの公園へ来てみた。
虫を探しに森の中を散策している。
今の時期、虫たちはまだ大きくはないが、草の上を歩けば小指の爪ほどのバッタたちが威勢良くはぜていく。
小鳥たちのさえずりは絶えることがない、
ドラえもんの世界でのび太達が放課後に冒険していた学校の裏山は、きっとこんな所だったに違いないとおもいのがら、ぶらりと森を歩いているだけで楽しくなれる





2012年6月26日火曜日

わんこそば

6/25月曜日の朝は,爽快な晴だった.
宮城方面からの来客があったのだけど,会社のある巣子まで行く
銀河鉄道への乗り継ぎが悪い時間帯に来ることになったので,
出勤途中に盛岡駅まで車で迎えに行く事にした.

盛岡駅前に20分間無料の駐車場があるのだけど,この時間が微妙で
駐車を終えて改札まで迎えに行き,待ち合わせてパーキングを出るには
いつもギリギリになってしまう.

20分を1分でも過ぎてしまうと200円払わねばならない.
朝の通勤時間に盛岡駅へ向かうため,渋滞を考慮して
少し早い時間に家を出るのだけど,
大抵は早い時間に到着するので,
駐車場手前の道幅の広い場所に路駐して時間調整することになる.

この日は,なんとか無料時間内で間に合った.
できれば無料時間が30分あると多少早い時間に到着しても,
安心して駐車場に直行できるのだが,これも利用者の理屈.


普段はカミさんに持たせられる弁当を食べているのだけど,

来客があったときは,一緒に外食することにしている.

岩手県外からいらしゃるお客さんが決まって言うのは,
驚くほど安いのにビックリするほど美味しいということ.
そう言われると,お連れする自分も嬉しい気分になる.
きっと岩手にまた来たいと思ってもらえる動機の1つになるに違いない.

わんこそばは,他の地域から出張してきてくれたビジネスマンを
迎えるのに活用させてもらっている.
来訪してくれた会社のメンバーと杯の数を競い,
ノンアルコールでいつの間にかうちとけあえる.
そういうイベント性のある食の風習は,なかなかないんじゃなかろうか.


そういえば先日,お話した岩手の大会社のトップも,わんこそばの杯数に,
見積金額の上乗せ交渉を掛けた豪快な話をしていたのを思い出す.


交通費をかけてまでして,私達のいる岩手の地まで来て
仕事の依頼をして頂かねばならない事を思えば,
この地で仕事を続けることの困難さに頭を抱えそうになるのだけど,


人には食べる喜びが備えられていることを思い起こすと,
私たちは,最上級の「岩手の食」から強力な援護射撃を
頂いていることに気づかされた.
そう考えたら,食事を前に私の心はホッコリとした暖かい気持ちでいっぱいになり
人と人のつながりのありがたさに感謝せずにはいられなくなった.

2012年6月25日月曜日

散歩

月が丘小学校横の「こもろくずがわ」沿いを子供らと散策していたら
スズメたちが小川の浅瀬で水浴びをしているのを見かけた.

ぷっくりと羽を膨らませた小鳥たちを眺めているだけで,
なんだか幸せな気分になれる.

視線を感じて見上げるとムクドリのつがいがしっぽを震わせながら
小枝の上をスキップしていた.

スマホに届くメールを読んで騒ぐ心をどう沈めたらいいのか
わからぬまま無理にやり過ごした朝の時間が思い出されたが,
送り主の理屈を是とする余裕が散歩する午後の自分にはあった.

3.5kmばかり歩いたのだけど,一緒に歩いた息子は疲れた様子もなく
小学校に通い始めるようになって,短時間に随分タフになったものだと
感心させられた今日の散歩であった.

2012年6月22日金曜日

しゃぼん玉

久しぶりに青空の朝を迎えた気がしている.
外の風にあたらずとも窓から覗く先に見える
陽に当たる新緑を眺めているだけで心地良い.

昨日は,初めてIntel TBBを使ってみた.
作っていた画像処理の最適化計算は,1回あたり
300msだったのだけど,TBBを使ったら120ms程度になった.


parallel_reduce しか使ってないが,使ってすぐに
2倍程度のパフォーマンスがでるのだから大したものだ.


今日は,朝から一日中,資料作りのためワードや
パワポと向き合うつもり.

人に合うと鬱屈した話ばかりになることが多いこのご時世だけど,
外に広がる新緑の鮮やかさ,やわらかな風にあたると,
忘れていた恵みを感謝する気持ちが湧き上がってくる.

長渕剛のシャボン玉の歌.

「いったい俺達はのっぺりとした都会の空に,
 いくつのシャボン玉を打ち上げるのだろう」

人の思いとは無関係にめぐる季節と自然に対峙すれば,
何やったって 人の成すものとは シャボン玉みたいに
儚いことなのだと思い知らされて,
そして,あきらめがつくのかもしれない

久しぶりに山に登ってみたくなってきた.

2012年6月21日木曜日

dlib

他に真似できない画像処理をやってやろうと,また無理なスケジュールでソフトを書く日々が
あいも変わらず続いていて,仕込んだアルゴリズムの随所に散らばる非線形の最適化問題が
うまく収束するように,小細工するのが肝だったりするのも変わらない.

この2週間ほどは,Pythonで書いていた認識アルゴの雛形をC++に書きなおしているのだけど
Pythonでは動いていたのにC++の移植の過程でバグが紛れ込んでしまったらしく,
同じ画像条件なのに同じ結果にならなくてイライラが募るばかりだ.

そしてC++にしたからといって,私のコードはあんまり早くならず,これでは労は全く報われない
ではないかと,モチベーションは落ちていく一方.

Pythonでは最適化計算をscipy.optimizeにやらせて楽してるのだけど,C++に移植するとき
pythonで楽している分,決まって毎回苦労することになっている.

楽できないかなあとググって見つけたのがdlibというテンプレートライブラリ.
早速使っているけど,まだ良いのか悪いのかわからない.
作者は,levmar書いてたギリシャの大学の教授.
ヤコビ行列を数値微分で近似してくれるモードも内蔵していてお手軽に試せた.


6月になったばかりだと思っていたが,早いものだ.

気がついたら消費税も10%になり15%なり20%になっていくのだろうか?
見積書を書くたび消費税額の行方が気になってしかたがない.

嫌でも払わされる税金は,公共の利益のために使われるという.
本当にそうなのか?疑念が拡大する材料には事欠かない.

日本が良い国だと思っていたことが幻想だったと感じた時から,
安定した生活の維持を願う気持ちと大きな変化を期待がたびたち交錯する.

2012年6月20日水曜日

裸の王様

書店に行けば「猫にでもわかる~」とか
「サルにでもわかる~」シリーズみたいに
アホな自分でもわかるんじゃないかと
期待させられる本が並んでいるのだけれど,
手とってみても,金を払って買おうと思わせられるような本は
そうそうないのではないだろうか


わかりやすいことには総じて魅力がないように感じてしまう.
わかった瞬間にその興味は,
吹き消したろうそくの火のように消えてしまう.


一方で意味不明の言葉の羅列に見える詩,
宇宙物理の解説本とか研究論文とか,
総じてわかりにくいものやわからないものほど惹きつけられる.

意味をあれこれ考えさせられる事に自分は価値を感じるとか,
あるいは,難解なものを理解できた側に
自分はいるのだという自己満足だとか
多様に解釈可能な意味の広がりの中に
自分のみが真理を得たと思い込むことだとか
わかりにくいものの魅力は様々あるのかもしれない


美術館に飾られた意味不明の落書きのように見える抽象絵など,その極みではなかろうか.

自分には価値がわからないが立派な美術館に
飾られているのだから,きっと素晴らしい絵なのだろうと
想像するしかないような絵が飾られていることがある.


それをジーっと眺めてみても自分には何も沸き起こらないのだとしたら?
それは自分にとって価値の無いものだと言える.
価値が無いとわかるまで,その絵に向きあう必要はある.


だから,わからない絵の魅力というのは,やっぱりわからないこと
そのものに魅力があってわかった瞬間に
その価値は失われるのではないかと私は思っている.
絵の分からない私なりの絵の楽しみ方といえる(笑)

専門家が良いと言うのを聞いて盲目的に良い絵なのだと信じることにするのは嫌だ.
できれば裸の王様を見る群衆であるよりも,「王様は裸だ」と言った子供でありたい.


気をつけないと,今の日本には,見えない服で着膨れした裸の王様が闊歩しているのではないか.
価値の判断を人任せにしてはいけない.

2012年5月6日日曜日

GW2012(前半)

旅をすることを,心の洗濯と表現する人があるけれど
つくづくそう思わされる2012年のGWでありました.
日常に曇った私の心は,帰省のひとときで体験した事柄によって
自動的に湧き上がってくる感情の流れによって幾分透明になった感じがしています.

5月2日(水)
AM5時に起床し,北海道への船旅にむけ荷物を車に運び込み八戸へ車を走らせた.
6歳の息子と3歳の娘は,車の中で一度こじ開けた目を閉じて車の中で寝息を立てた.
八戸から乗り込んだ船はシルバープリンセスという最新型のフェリーであった.
2等と言えども座席指定があり,個別のマットレスが設えてあった.
場所取りに走る必要もなく,皆ゆっくりと船に乗り込む.
昼間のフェリーは,やることもないから他の家族は皆 毛布にくるまり昼寝している.
一方でうちの子供達は,興奮して始終騒いでいたので,何度も「静かにせい」と
たしなめるのだが,全てに夢中な彼らは1分もすると忘れて大声で笑い叫び始める.
周りに恐縮しながらの船旅であった.
八戸からの出航は,8時45分.
苫小牧についたのは,16時頃.
車を出すのに30分ほど時間がかかった.
苫小牧からも高速道路を使って,今も両親の暮らす旭川を目指した.
苫小牧は晴れていたが18:30頃旭川郊外に差し掛かった頃,
夕立のような大粒の雨が車のボディーを叩きつけた.
小高い丘の上にある実家に到着したのは19:00頃.
エンジンの音を聞きつけた母が玄関から出てきた.
何か話したのだろうがあまり覚えていない.
幼い子供たちが主役の楽しい時間を過ごしたには違いない

5月3日(木)
東北や関東では,発達した低気圧の影響で大雨が降っているというニュースを見たが
旭川は,曇ってはいたが雨はふらなかった.
両親とともに旭山動物園にでかけた.
私も幼い時にこの動物園へ祖父母と来たことがあって,
売店に並んでいた風車が欲しくてたまらなかったけど買ってもらえず
へそを曲げた思い出がある.
今の旭山動物園は,人でごったがえしており歩くにも人をかき分けていかねばならないくらい.
すべての動物を見ることは諦めて,ストレスを感じずに動物を見られるところだけ廻った.
午前中だけで人の溢れる旭山動物園を出て,
最近 父が気に入っているというラーメン屋に向かった.
旭川の流通団地にある「耀」(よう)というお店.
味は良かったのだけど,私たちの隣の席にいた幼い子供をつれた8人くらいの家族の父親が
大盛りを頼んだのに普通盛りだと大声を上げて店員に怒る姿を見て印象に残った.
そこに同席する幼い子供の母親と思われる若い女性も子供たちも驚く様子もなかったので
それが彼らの日常なのだろうかと想像をたくましくした.
私たちの住む岩手の日常にはない風景であった.
この夜,上富良野にいる妹家族が合流し,外でバーベキューをした.
いつもは酒を飲まない両親も楽しかったのだろう.
ビールや焼酎にワインも飲んでいた.
1ダースあったビールがいつの間にかなくなって,ふらのワインの瓶も空いた.

つい2日前のこのできごとなのだけど,今振り返ってみると,
心のなかで暖かいものと寂しさみたいなものが対流していく流れみたいなものが感じられる.
その時間が自分にとって大事なものだったことを感情が心全体に働きかけているようだ.
これが日常が思い出になっていくプロセスなんだと納得したことにしている.